十二月になると小さな街も活気づいて、人の表情も忙しさうになった。家にゐても、街に出ても、彼は落着かなかったが、昼過ぎになると、やはり拾銭の珈琲代を握り締めて、ぶらりと外に出た。兄貴から譲られた古トンビと、扁平になってしまった下駄で、三十歳の閑人の悲しさうな表情を怺へて、のこのことアスファルトの上を歩いた。しかし、もう以前のやうな無邪気な友達も見あたらなかった。何処へ行っても友達はもう職に就いてゐたり。妻帯者であった。彼を批難するやうな眼つきで、君も早く何とかするのだね、と励ましてくれるのではあったが、彼も今では自分の病気や境遇を説明するのがめんどくさくなった。どうかすると、まだ熱が出たりしたが、ほんとに自分が病気なのかどうか、それさへわからなくなるのでもあった。退院してからもう四年にもなるのだが、それ以来は養生らしい養生も出来ず、身体に自信が持てなかったため、つい、うかうかと青春を見送ってしまったのである。さう云ふことを振返って考へ込むと、彼は心の底から一つの細力が湧いて来て、蹣跚きさうな身体を支へて呉れさうな気がした。実際、此頃では一か八か生命を犠牲にして、何か商売を始めようと考へてもゐた。叔父が古本屋の資本を貸して呉れたら、少しは愁眉が開けさうだった。しかし返事のない叔父は当にもならなかった。母や兄に心配ばかり懸けて来た身が呪はしく、一そのこと自殺した方が皆のためにもなりさうだった。
しかし彼は今も鳥屋の前に立止って、オタケサン、オタケサンと騒ぎ廻る九官鳥を眺めて、単純にをかしさうに笑ってみた。鳥屋のむかひの昆布屋には荷馬車が留められてゐて、馬が退屈さうに横目を使ってゐる。何処へ行っても見慣れた狭い街の風景で、盛り場の方では今でもチンドン屋が騒ぎ廻ってゐた。彼は何時もの癖でT――百貨店へ入ると、三階まで登って、屋上で猿を眺めた。猿は絶えず枝から枝へ忙しさうに飛び廻ってゐる。猿でも肺病があるのかしら――と想像してみると、何だか嘘のやうな気がした。