TRENDIA CLASSIC

少年

原民喜

1 / 2

空地へ幕が張られて、自動車の展覧会があった。誰でも勝手に這入れるので、藤一郎もいい気持で見て歩いた。ピカピカ光るお腹や、澄ました面した自動車を見ると、藤一郎の胸にはふんわりと訳のわからぬ感情が浮き上るのであった。いくら見惚れたって自分の所有にはならないのだが、ああ云ふ立派な自動車に乗って走れたら、どんなに素晴しいだらうか――藤一郎はその素晴しさを想像して一人でいい気持になった。美しい女が、たしかにああ云ふ自動車には乗ってゐて、彼の知らない世界を走ってゐるのだ。藤一郎はついさうした夢想に耽り出すと、眼の前が早くも茫として額に微熱を覚えた。その時、遙かに遠い空間に一つの点が見えて、その点が彼の運命らしく感じられた。だから万が一には彼だって、その美しい女と一緒に自動車に乗って走るかも知れないのだ。いや、たしかに、そこにはさう云ふうらなひがあった。はっと気がつくと、眼の前には一匹の蜻蛉が飛んでゐて、そこは展覧会の出口だった。藤一郎は今迄引張廻してゐた自転車に乗ると、忘れてゐた用件を思ひ出して、滅茶苦茶に走り出した。

やがて店へ戻ると、案の定、藤一郎は主人から叱られた。どうして主人には彼が道草食ってゐるのがわかるのか、藤一郎にはわからなかったが、「君は一体此頃ぼやっとしてるぞ。」と云はれた時にはギョクッとした。さっきまで目が眩むほど美しい女のことを考へてたのだが、さう云ふことまで主人にはわかるのかしら。自分の不甲斐なさを思ふと、少しづつ慄へる唇を藤一郎は努めて慄はせまいとした。恰度いいことに、藤一郎はまた用件を吩かった。今度はしくじるまいと、藤一郎は自転車に燈をつけた。

原民喜の他の作品