東洋文化史における仏教の地位
本文約34,600字 ・ 読了時間 約70分
あらすじ(AIが作成しました)
理想を追求する国インドの精神性と、生存競争を重視する西洋文明の対比から説き起こし、仏教の成り立ちと経律論の三蔵について述べる。さらに、仏教研究の原本となる言語や文献の重要性を示し、研究から思索、冥想、信念に至るまで多様な形態を備え、思想が頂点まで達した日本における仏教の地位と、その世界的価値を論じる講演録である。
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一
今日ここに講演の機会を与えていただいたことは感謝するところでありますが、果してご満足を得るかどうかを甚だ疑うのであります。書き出しておきました題目はこういう大きな題目でありますが、それの一小部分をお話するようなことに終ってしまうであろうと思うのであります。話の順序といたしましてインドのことが相当に多くを占めることと考えますが、これはどうか予めお許し下さることをお願い申しておきます。
インドは理想の国であります、理想の国とのみでは分りませんが、理想を製造する国であります。この理想ということを解しなくてインドを統御することはとうてい為し得ないことであります。理想と申しましても非常に風変りの理想でありましてすべての方面で他の国とは全く違った理想を持っているのであります。人類愛――人間がお互いに愛するということはよく人の説くことでありますけれども、インドではこれを押し拡めて動物愛としているのであります。その動物愛をまた押し進めてこれを宗教愛としているのでありますから、動物と親しむことは人間と同じで、ことに牛の如きは神聖の動物とされておりますからではありますけれども、殺すなどのことは無論しない、昔から牡牛は労働に使役しますが、牝牛は決して労働には使わないというふうで、牛の殺されるのを見るとインド人は自分の兄弟が殺される如くに感じ、直ちに自分の生命を棄ててもその牛を救いに行くというふうの人間なのであります。それで毎年マホメット教の祭の時には牛を殺すのであるが、その殺す前に意地悪く、これを今夜殺して犠牲に供するのであるといってインド人の町を牽いて歩いて皆に犠牲になる牛を見せるのであります。