TRENDIA CLASSIC

渋民村より

石川啄木

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杜陵を北へ僅かに五里のこの里、人は一日の間に往復致し候へど、春の歩みは年々一週が程を要し候。御地は早や南の枝に大和心綻ろび初め候ふの由、満城桜雲の日も近かるべくと羨やみ上げ候。こゝは梅桜の蕾未だ我瞳よりも小さく候へど、さすがに春風の小車道を忘れず廻り来て、春告鳥、雲雀などの讃歌、野に山に流れ、微風にうるほふ小菫の紫も路の辺に萌え出で候。今宵は芝蘭の鉢の香りゆかしき窓、茶煙一室を罩め、沸る湯の音暢やかに、門田の蛙さへ歌声を添へて、日頃無興にけをされたる胸も物となく安らぎ候まゝ、思ひ寄りたる二つ三つ、※々[#「虫+慈」、U+45F9、39-上-12]たる燈火の影に覚束なき筆の歩みに認め上げ候。

近事戦局の事、一言にして之を云へば、吾等国民の大慶この上の事や候ふべき。臥薪十年の後、甚だ高価なる同胞の資財と生血とを投じて贏ち得たる光栄の戦信に接しては、誰か満腔の誠意を以て歓呼の声を揚げざらむ。吾人如何に寂寥の児たりと雖ども、亦野翁酒樽の歌に和して、愛国の赤子たるに躊躇する者に無御座候。

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