蚤とり武士
「蚤とりましょう。猫の蚤とり!」
黒の紋付きの着流しに、長目の両刀を落として差し、編笠をかむった浪人らしい武士が、明暦三年七月の夕を、浅草の裏町を歩きながら、家々の間でそう呼んだ。
お払い納め、すたすた坊主、太平記よみ獣の躾け師――しがない商売もかずかずあるが、猫にたかっている蚤を取って、鳥目をいただいて生活という、この「猫の蚤とり」業など、中でもしがないものであろう。
町人百姓でもあろうことか、両刀さした武士の身分で、この賤業にたずさわるとは、よくよくの事情があるからであろう。
「蚤とりましょう、猫の蚤とり!」
蚤とり武士は歩いて行く。
と、一軒の格子づくりの、しもた家らしい家の奥から、
「もし蚤とりさん、取っていただきましょう」
と、老けた女の呼ぶ声が聞こえた。
「へい、お有難う存じます」
と、何んとこの武士の気さくなことか、板についた大道の香具師の調子で、そう云いながら格子戸をあけた。
乳母らしい老女が烏猫を抱いて、三畳の取次ぎに坐ってる。その背後にこの家の娘でもあろう、十八、九の小肥りの可愛らしい娘が、好奇の眼を張って立っていた。
「ま、これはお武家様で」
はいって来た蚤とり武士を見ると、乳母は驚いて叫ぶように云った。
「身分は武士、業は蚤とり、浮世はさまざま、アッハッハッ……おお、おおこれは可愛らしい猫で。年齢は一歳か。二、三ヵ月越すか。その辺の見当でありましょうな……蚤に食わせては可哀そうじゃ。どれどれ取って進ぜよう。……が、ちとばかり無心がある。……湯をつかわせていただきたいもので」
武士は上がり框へ腰をかけて云った。
「湯をつかわせとおっしゃいますと?」
「ナニさ、その猫に風呂をあびさせることじゃ」
「おやまあさようでございましたか」
乳母は奥へ引っ込んだが、間もなく行水を使ったらしい猫の、濡れた体を吊るしながら、三畳の間へ帰って来た。
その間に武士は腰に巻いて差した、白猫の皮の鞣したのを取り出し、畳の上へ延ばしたが、
「では拝借」
と猫を受け取り、皮でクルクルと引っ包み、その上を片手でそっと抑えた。