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TORENDIA

我が詩観

本文約6,500字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

抒情詩人として知られる著者が、自らの文学観および世界観を綴る。文芸と社会の関わりを論じる風潮が強まる中で、抒情詩に表現の安定性を与える客観的能力について解説する。また、神の存在や直観、善意の帰結といった自身の哲学的信条を述べるほか、詩人としてのこれまでの経歴や制作の歩みを振り返る。本書は、創作活動を通じた自己の生命の身の振り方を定めるための、思惟の季節としての記録である。

中原中也

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詩観とはいへ、書かんとするのは要するに私の文学観であり、世界観の概略でもあるから、それに今日や昨日に考へ付いたことではないことを書くのであるから、多くの人に読んで貰ひたいものである。

何故之を書くに到つたかといふと、もともと死ぬまでに一度は是非とも書きたいと年来の希望があつたからでもあるが、由来抒情詩人といへば、何にも分らぬくせに抒情だけはどうした拍子でか出来る人間のことだ位に考へてゐるのが一般の有様であり、論議の盛んな当節にあつては、尚更そのやうに考へられる向きも多いので、聊かそれに答へてみたいといふのが、直接の動機である。

寧ろこれは、此の詩観が大体の結着をみた当時、即ち今より十三年ばかり前に書けばよかつたのであるが、当時は青春で一杯であつて、論文を纏めるなぞといふ気持には不向きであつた。その後次第に私の理論的な生活は減退し、直観だけに信頼する傾向は次第に増した。その十三年ばかり前には、日に少くも三頁のノートを取らないことはなかつたし、実に多くのことを考へたのだが、今茲にその百分の一も想起出来るかどうかと心細い次第だ。(それらのノートといふのは、その後みんな破棄してしまつたのである。)体系の姿こそ与へなかつたものの、自分では終始一貫した世界観を把んだつもりであつたので、今書かうとすると、極度に構へて取掛りたくもなるが、論文の方法に不慣れな自分としては、却て思ひ付くまゝに細部を並べて、然る後それを一括するといつた態度を採ることが、途中で倦怠を覚える心配がなくて済みさうに思へるから、そのやうにする。

こんな前置きを書くと、さも長いものを書きさうでもあらうが、骨子だけを誌すにとゞめて、色んな場合に適用してお目にかけるといふことは一切抜きにするから、そんなに長くはなるまい。但し、よく了解してさへ貰へれば、勿論色んな場合への適用も予想出来るやうには、書くつもりである。

昭和五六年の頃より、つまり小林秀雄が文壇に現れて間もなくの頃より、文芸評論は頓に盛んになつて、現今猶益々盛んである。

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