海の詩
本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
ボオドレエルの詩「人と海」を辿りながら、海に対する自身の心象風景や抱く思いを綴る。詩の各行から想起される水平線や港の情景、海を鏡のように眺める魂のあり方について考察を巡らせる。また、海が持つ広大さや深淵といった性質と向き合う中で、海が秘める秘密や荒々しさ、そして永遠の闘争へと至る思索を書き留める。海という存在を通じて、自己の意識や人間同士の恩怨についての思索を重ねる随筆である。
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こころまゝなる人間は、いつでも海が好きなもの!
これは、ボオドレエルの「人と海」といふ詩の、第一行である。海と聞くたびに、海を見るたびに、この歌を思ひ出すから、以下私は此の詩を辿り乍ら、「海の詩」といふ課題を果さう。然し何も、此の詩を解説しようといふのではない。此の詩を辿り乍ら、この稿を書いてゐる今、色々と心に浮ぶことを、何の反省をも加へずに、唯々書誌してみたいと思ふ。
第一行を読んで、先づ見えて来るのは水平線である。とまれ渚よりも、沖の方が想ひ出される。然しこれを歌つてゐるのがボオドレエルだと思ふと、船の沢山ゐる港、それも余り大きくない港が見えて来たりする。どういふわけだか知らぬ。同じく海の出て来るボオドレエルの詩だつて、「信天翁」だと、広々として一物も見えぬ、秋も終りの海が見えて来る。
それはさて、今よりも、子供の時分の方が、よつぽど海は好きだつたやうだから、してみると今よりも、あの頃の方が「こころまゝ」だつたのだらうか?
つまらないことを思つてみたりするものだとは思ひ乍らも、なんだかこれはドキンと来る。
第二行、第三行。海はなが身の鏡にて、はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む
海は汝が身の鏡にて、と云はれるとなんだか罪でも犯した気持になる。それかあらぬか、猫の瞳孔が紋むやうに、海は急劇に曇つて来て、今にも時化でもやつて来さうだ。然しまあ、よく視よう、鏡なんだもの、と緊張を増すと同時に、急いで先が読みたくなくなる。
はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む……「なーるほど…」と思ふのは、恐らくボオドレエルが私自身より意識的であることに気が付くからである。長の年月、海を見るたびに、おぼろに感じてゐたことが、急に明るみに出た感じ。
第四行。さてなが魂もいやにがき、深淵ぞ
さうに違ひない、海を見てると溜息が出る。然し茲でもボオドレエルは、意識的だ。