小詩論
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あらすじ(AIが作成しました)
事象に対する驚きから生じる「想ひ」と、それが刻み込まれた詩人の精神の跡を「皺」と呼び、詩作の本質を論じる。写実的な描写が詩を退屈にさせる理由を、対象そのものよりも「凡そ何か」を探る思考の形式に求め、純粋に生きることで生じる詩の必然性を説く。さらに、言葉が社会的な品性や比較の対象として固定化されることで、詩人の直感的な驚きが阻害される現状を指摘し、対人圏の言葉に抗う自身の詩的姿勢を綴る。
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此処に家がある。人が若し此の家を見て何等かの驚きをなしたとして、そこで此の家の出来具合を描写するとなら、その描写が如何に微細洩さずに行はれてをれ、それは読む人を退屈させるに違ひない。――人が驚けば、その驚きはひきつゞき何かを想はす筈だが、そして描写の労を採らせるに然るべき動機はそのひきつゞいた想ひであるべきなのだが。(断るが、茲でいふ想ひとは思惟的なのでもイメッヂでのでも宜しい。)
生きることは老の皺を呼ぶことになると同一の理で想ふことは想ふことゝしての皺を作す。
想ふことを想ふことは出来ないが想つたので出来た皺に就いては想ふことが出来る。
私は詩はこの皺に因るものと思つてゐる。
古来写実的筆致を用ひた詩人の、その骨折に比して効果少なかつた理由は、想ふことを想はうとする風があつたからだと私は言ふ。或は、真底想はなかつたから、判然皺が現れなかつたのだ。
然るに此の皺は決して意識的に招かるべきものではない。よりよく生きようといふ心懸けだけが我等人間の願ひとして容れられる。
ラムボオは或一物に驚ろくとすると、彼は急ぎ過ぎたので、そして知能が十分だつたので、その驚きをソフィズム流に片附けた。即ちラムボオの皺はソフィズム色を多いか少いかしてゐたのだ。けれども何れにしろ、皺の出来るより前に彼は筆を取つてはゐない。