帰来
本文約5,700字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
大正期の欧州を旅する著者は、各地で日本の浮世絵や音楽に触れ、それらが持つ官能や哀愁を再発見する。同時に、それらの芸術が備える「良心の不安」や「光をつくる力」の欠如という限界に直面し、なぜ日本の芸術が心を高揚させる力を持ち得ないのか、その背景にある精神構造や歴史的要因を思索する。本書は、帰国後の著者が抱いた、日本古来の芸術に対する誇りと疑念の交錯する心境を綴る。
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千九百二十三年の七月、私は、独逸を出てから、和蘭・白耳義を経て再びパリにはひつた。其処の美術館で、前に見た目ぼしいものを見なほしたり、前に見のこして置いたものを見たりするのが私の主たる目的だつた。その月の二十七日の午後、私はルーヴルの大玄関をはひつて直ちに右に折れ、Galerie Mollien を突当つて同じ名を負ふ階段を二階に上り、左折して仏蘭西初期の画廊に入ると間もなく、又三階に上る階段を踏んで Collection Camondo に到達した。それは千九百十一年に死んだキャモンド伯の蒐集で印象派の絵画を以て有名なものである。さうしてこの蒐集には東洋芸術の遺品も又相応にまじつてゐるのである。
未だ階段の中途にあつて、私の眼は既に壁にかけた支那画にひきつけられた。階段を上りきつた小さい廊下には大きな座像仏が安置されてゐた。さうして其処から足を最初の室に踏み入れると、吾々の眼は四壁にかけた哥麿や写楽等の浮世絵によつて涼しくされる。客遊既に一年半、故国の趣味と生活とに対する郷愁を胸の奥に持つてゐる私に取つては、その微妙な色彩、その簡素な描線、そのほのかな静かな気分が、殆んど一種の救ひとして働きかけて来た。此処には色と線とに対する無量にデリケートな官能がある。此処には、日常生活の些事の中にも滲透して、戯れながらその味を吸ひ取りその美を掬い上げることの出来る芸術家のこゝろがある。凡そその素質のこまやかにその官能の豊かな点に於いて、此等の画家は、時代を等しくする欧羅巴の画家の多くに比較しても、決して遜色がないであらう。而も此等の浮世絵が特別の意味で民衆を代表し民衆に支持されてゐた芸術であることを思へば、此等の芸術を産んだ日本の民族も亦この誇を分つべき充分の資格を持つてゐるのである。一体に私は、故国を離れてから、他との比較によつて益々祖国に対する自信の篤くなることを感じて来た。さうしてこの自信が此処でも亦更に確められ得たことは、私の大なる喜びであつた。