三太郎の日記 第二
本文約84,200字 ・ 読了時間 約169分
あらすじ(AIが作成しました)
内面的な思想の生活と現実的な実行の生活との葛藤に直面する三太郎が、瞑想を通じて自己を見つめ直す。孤独や空虚感に悩み、他者への愛や忍辱の教えを思索する中で、自身の生き方の指針を模索する日々を綴る。七里ヶ濱から鎌倉へと歩みを進めながら、世間や敵対する者さえも大きな愛で包容し得る可能性を信じ、神との交通や聖人フランシスの精神を手がかりに、自己の不完全さを抱えつつも、真の幸福と愛の形を探求する姿を描く。
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主よ我信ず、わが信なきを助けたまへ
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一 思想と實行
1
實行とならぬ思想は無價値だと云ふ言葉は屡耳にするところである。併しこの言葉の意味は隨分粗雜で、その眞意を捕捉し難い。若し實行とは主觀が客觀(人及び物)に直接に働き掛ける事のみを意味するならば、或る種類の思想は本來實行となるまじき約束を持つてゐる。さうして實行とならずともその思想は決して無價値ではない。若し又實行とは主觀内の作用が他の主觀作用を――一つの思想感情が他の思想感情を――喚起する事をも意味するならば、凡ての眞實なる思想は必然的に實行となる。世界の何處にも實行とならぬ思想はあり得ない。
數學上の公理は幾多の定理と系と命題とを産んだ。物理學上の法則は宇宙間に行はるゝ幾多の具體的事實を説明した。思想は常に思想を産んで細密なる連續體を形成し、遂に吾人の世界觀を構造するに至る。如何なる場合に於ても思想は力である。
思想は力なるが故に、思想は波及する、又深みに行く。數學者又は物理學者の思想と雖も彼等の世界觀を規定し彼等の人格的生活を規定せずには措かない。況して哲學上藝術上の思想が哲學者藝術家の Gemt(心ばえ)に作用して、彼等の主觀状態を改造することは云ふ迄もないことである。故に實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が、單に力――心理的の力である物理的社會的の效果を惹起す可き力ではない――力のない思想、遊離せる思想、空華なる落想を拒斥するだけの意味ならば、固よりその主張は正當である。此主張は要するに虚僞なる思想は無價値だと云ふに等しい。改めて云ふまでもないことである。