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TORENDIA

大森彦七と名和長年

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

明治座で初演され好評を博した狂言「大森彦七」について、師匠団十郎の創意や自身の舞台での経験を語る。また、南朝の忠臣として自身が演じる「名和長年」について、脚本の経緯や演者としての因縁、ゆかりの地である名和神社への参詣と史実を綴る。演劇における忠臣の描写や歴史認識、自身の芸に対する深い思索を述べる。

松本幸四郎

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🎧 大森彦七と名和長年 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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「大森彦七」は師匠団十郎が福地桜痴居士に書卸していたゞき、明治三十年十月の明治座で初演され、大好評を博した狂言で、後日新歌舞伎十八番の中にも加へた当り芸なのですが、居士が脚本を書き上げて内読をした時、団十郎は正成戦死の物語を素で行きたいと希望し、更に狂乱になつて踊りたいから文句を書加へてほしいと注文したところ、居士は即座に承諾して「太平記」の中にある俗謡「この頃都で流行るもの云々」を生ではめこみ、居士の博職と機智に感心させられたといふ話が残つてゐます。そんなわけで「大森彦七」の後半は団十郎の創意によつたもの、のみならず振附師の花柳寿輔がつけた振が気に入らず、殆ど全部御自分で振りをつけてしまつたのですから、此の狂言の成功は師匠の功といへませう。

その頃活歴物の評判があまりよくなく、悪口ばかり叩かれるので、団十郎は特に座方に注文して、小番附の絵を鳥居風の極く古風な荒事様に描かせることにし、観客はその絵を見て昔風の芝居だらうと思つて来てみると、意外にもそれが活歴もので、しかも非常に面白かつたため、以来活歴の人気が勃興したといはれてゐます。

私は運が悪く、師匠の大森を殆ど見てゐないのです。その明治座の時には折悪しく出勤してゐなかつたし、裏木戸から度々入つて見せて貰ふのもいやでしたし、といつて表から行く程の力もない頃でしたので、一度師匠の楽屋へ挨拶に行つた時、そつと揚幕へ廻つて終りの方だけ少しのぞき見したことがあるだけなのです。その後大阪梅田の歌舞伎座で此の狂言が出た時には、私も一つ芝居に出てゐならがら北の新地へ毎日踊を教へに行つてゐて時間がなく、とう/\師匠の大森をゆつくり見る機会がなかつたのでした。

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