「人間キリスト記」その他
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
山岸外史の「人間キリスト記」は、錯乱への凝視や眩暈の定着を試みる純粋リアリズムと絶対ヒューマニズムの表現を収める。著者が抱える苦悩の真価を問う本として読者へ広く普及を促す。また、山崎剛平の随筆集「水郷記」は、滑稽ではなく楽しさに満ちた逸品であり、著者の独特な視点から描かれた日常や風景を通して読者に深い共感と喜びをもたらす。この二つの優れた著作について、著者はそれぞれの魅力を綴り、多くの読者に読むことを強く推奨する。
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山岸外史氏の「人間キリスト記」を、もつと、たくさんの人に讀んでもらひたい、と思つてゐる。さうして、讀後の、いつはらざる感想を、私は、たくさん、たくさん、聞いてみたい。それは、山岸のため、といふよりは、むしろ、私自身の開眼のために聞いてみたい。遠慮なさらず、思つたこと、たくさん教へてもらひたい。私も、さうであるが、山岸の表現に就いての努力は、たつたいまのこの苦惱を、瞬時の距離に於いて切斷し、一まづ時間の流れのそとにピンセツトで、つまみ出し、その斷面圖をありありと擴大し、鮮明に着色して壁に貼りつけ、定着せしめることにある。鏡を、ふたつ對立させると、鏡の中に、また鏡、そのまた奧に、また鏡、無限につらなり、つひにはその最深奧部に於いて、青みどろ、深淵の底の如く、物影がゆらゆら動いてゐる。あいつを、あの青みどろを、しかと掴んで計算し、その在りのままの姿を、克明に描寫し、黒白確實に、表現し、それを、やさしい額縁にいれて呈出したい。私は山岸の永年の苦惱を、そのやうなところに在ると解してゐる。謂はば、錯亂への凝視であり、韋駄天に於ける計量であり、激憤絶叫への物差であり、眩暈の定着である。かれは、沈默に於ける言葉、色彩をさへ、百發百中、美事に指定しようとする。純粹リアリズム。あるひは、絶對ヒユウマニズム。そのとき、山岸は、「人間キリスト記」を書いた。讀んでもらひたいのである。さうして感想、忠告を、たくさんたくさん聞きたいのである。山岸は、虚傲でない。素直に讀者の聲を聞き、自身のまづしい仕事を、そんなにも懇切に讀み、考へて呉れたことに就いては、どんなに感謝するかわからない。この本が、この山岸の仕事が、果して美しいものか、どうか、それさへ、未だ、きめられてゐないのである。全く、評價以前の状態に在る。それを、いま、決定するのは、あなたがた、讀者である。出版元、第一書房主も、もつとこの本の宣傳をしなければいけない。これは、問題の本である。たくさんの人に讀んでもらひたいのである。まづ、いまは私は、それをお願ひする。