TRENDIA CLASSIC

諸君の位置

太宰治

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世の中の、どこに立つて居るのか、どこに腰掛けて居るのか、甚だ曖昧なので、學生たちは困つて居る。世の中のことは何も知らぬふりして無邪氣をよそほひ、常に父兄たちに甘えて居ればいいのか。又は、それこそ、「社會の一員」として、仔細らしい顏をし、世間の大人の口吻を猿眞似して、大人の生活の要らざる手助けに努めるのがいいのか。いづれにしても不自然で、くすぐつたく、落ちつかないのである。諸君は、子供でも無ければ、大人でも無い。男でも無ければ、女でも無い。埃つぽい制服に身を固めた「學生」といふ全然特殊の人間である。それはまるで、かの半人半獸の山野の神、上半身は人間に近く、脚はふさふさ毛の生えた山羊の脚、小さい尻尾をくるりと卷き、頭には短い山羊の角を生して居るパン、いやいや、パンは牧羊神として人々にも親しまれまた音樂の天才であり笛がうまいし、葦笛を發明するほどの怜悧明朗の神であるが、學生諸君の中には、此のパンと殆んど同一の姿をして居ながら、暗い醜怪の心のサチイル、即ち憂鬱淫酒の王デイオニソスの寵兒さへ存在するのだ。我が身が濁つて低迷し、やりきれない思ひの宵も、きつと在る。諸君は一體、どこに座つて居るのか、何をみつめて居るのか。先日、或る學生に次のやうなシルレルの物語詩を語つて聞かせたところ、意外なほどに、其の學生は喜んだ。諸君は、今こそ、シルレルを讀まなければなるまい。素朴の叡智が、どれほど強力に諸君の進路を指定してくれるものであるかを知るであらう。

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