諸君の位置
本文約1,800字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
大人と子供の狭間で自身の居場所に悩む学生たちへ向けて、著者自身の思索や助言を綴る。現実社会での不安定な位置に甘んじるのではなく、天上の音楽や美しいものを見つめる詩人の特権を学生の時期こそ保持すべきだと説く。実生活の役割に縛られず、真に豊かな感受性を持ち続けるよう促し、道しるべとしてシラーの物語詩やチェーホフの作品に触れることの重要性を論じる。
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世の中の、どこに立つて居るのか、どこに腰掛けて居るのか、甚だ曖昧なので、學生たちは困つて居る。世の中のことは何も知らぬふりして無邪氣をよそほひ、常に父兄たちに甘えて居ればいいのか。又は、それこそ、「社會の一員」として、仔細らしい顏をし、世間の大人の口吻を猿眞似して、大人の生活の要らざる手助けに努めるのがいいのか。いづれにしても不自然で、くすぐつたく、落ちつかないのである。諸君は、子供でも無ければ、大人でも無い。男でも無ければ、女でも無い。埃つぽい制服に身を固めた「學生」といふ全然特殊の人間である。それはまるで、かの半人半獸の山野の神、上半身は人間に近く、脚はふさふさ毛の生えた山羊の脚、小さい尻尾をくるりと卷き、頭には短い山羊の角を生して居るパン、いやいや、パンは牧羊神として人々にも親しまれまた音樂の天才であり笛がうまいし、葦笛を發明するほどの怜悧明朗の神であるが、學生諸君の中には、此のパンと殆んど同一の姿をして居ながら、暗い醜怪の心のサチイル、即ち憂鬱淫酒の王デイオニソスの寵兒さへ存在するのだ。我が身が濁つて低迷し、やりきれない思ひの宵も、きつと在る。諸君は一體、どこに座つて居るのか、何をみつめて居るのか。先日、或る學生に次のやうなシルレルの物語詩を語つて聞かせたところ、意外なほどに、其の學生は喜んだ。諸君は、今こそ、シルレルを讀まなければなるまい。素朴の叡智が、どれほど強力に諸君の進路を指定してくれるものであるかを知るであらう。