當選の日
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
国民新聞の短篇小説コンクールで自身の作品『黄金風景』が当選した太宰治は、甲府での極貧生活の中でその報せを受ける。自身の悪評に不安を抱きつつも、四人の選者から投じられた票を誇りと感じ、妻やその実母と共に受賞の喜びを分かち合う。本作は、貧しくとも文学に真摯に向き合う作家が、世間からの評価と家族の温かな支えの中で、日常の平穏と創作への決意を再確認するまでの当日の様子を綴る。
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(一) まづしい作家のこと
こんど、國民新聞の短篇小説コンクールに當選したので、その日のことを、正直に書いて見ようと思ふ。私は、ことしのお正月に、甲府の人と平凡な見合ひ結婚をして、けれども私には一錢の貯金も無し、すぐに東京で家を持つわけに行かなかつた。家の敷金として、百圓くらゐ用意しなければならぬし、その他家財道具一切を買はなければならぬし、そのためには、どうしても、もう百圓は必要であらうし、とにかく、結婚當時の私には、著てゐる著物と、机と夜具、それだけしかなかつたのであるから、ずゐぶん心苦しいことが多かつた。はじめ私たちは、どこか山奧の安い宿でも見つけて、そこにかくれて、私はとにかく仕事に努め、家を持てるだけのお金を得ようと、そんなことも相談してゐたのであつたが、さいはひ、甲府の實家のちかくに六圓五十錢の、八疊、三疊、一疊の小さい家が見つかり、當分ここでもいいではないか、山の宿より安あがりかも知れんと、しちりんや、箒やバケツを買つて、その家に收まつた。敷金もここは要らないのである。
甲府のまちのはづれで、坐つてゐても、部屋の窓から、富士がちやんと見える。葡萄棚もあり、枝折戸もあり、何よりも値が安く、六圓五十錢なので、それが嬉しかつた。汽車の響きがかすかに聞えて來るくらゐで、夜は、八時すぎると、しんとしてゐる。
「いいかい。侘びしさに、負けてはいけない。それが、第一の心掛けだと、僕は思ふ。」
私は、多少口調を改めて、そんなことを家内に教へた。私自身、侘びしさに負けさうで、心細かつたからでもある。