フレップ・トリップ
本文約143,600字 ・ 読了時間 約288分
あらすじ(AIが作成しました)
樺太観光団に参加した筆者が、高麗丸での航海や樺太各地の巡遊を経て、オホーツク海に浮かぶ海豹島で目撃した膃肭獣の群棲や北方の自然風景を綴る紀行文。執筆者が実際に体験した八月の旅の情景に加え、童謡や劇的な描写を交えながら、北の地における発見と旅の悦びを記す。本作は北方の豊かな自然や観光団としての経験を収め、現地で見た生命の輝きや、旅を通じて抱いた若々しい感懐を回顧し、総括するものである。
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フレップの実は赤く、トリップの実は黒い。いずれも樺太のツンドラ地帯に生ずる小灌木の名である。採りて酒を製する。所謂樺太葡萄酒である。
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揺れ揺れ帆綱よ
心は安く、気はかろし、
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……
おそらく心からの微笑が私の満面を揺り耀かしていたことと思う。私は私の背後に太いロップや金具の緩く緩くきしめく音を絶えず感じながら、その船首に近い右舷の欄干にゆったりと両の腕をもたせかけている。
見ろ、組み合せた二つのスリッパまでが踊っている。金文字入りの黒い革緒のスリッパが。
心は安く、気はかろし、
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……
私の今度の航海は必ずしも物の哀れの歌枕でも世の寂栞を追い求むる風狂子のそれでもなかった。ただ未だ見ぬ北方の煙霞に身も霊もうちこんで見たかったのである。ほとんど境涯的にまで、そうした思無邪の旅ごころを飽満さしたかったのだ。南国生れの私として、この念願は激しい一種の幻疾ですらあった。いまこそ私は年来の慾望を果し得ることを喜んでいい。私はまさしく樺太観光団の一員として、この壮麗な高麗丸の甲板上にある。
心は安く、気はかろし、
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……
ハロウとでも呼びかけたい八月の朝凪である。爽快な南の風、空、雲、光。
なんとまた巨大な通風筒の耳孔だろう。新鮮な藍と白茶との群立だ。すばらしい空気の林。
なんとまた高いマストだろう。その豪壮な、天に沖した金剛不壊力の表現を見るがいい。その四方に斉整した帆綱の斜線、さながらの海上の宝塔。
ゆさりともせぬ左舷右舷の吊り短艇の白い竜骨。
黄色い二つの大煙突。
あ、渡り鳥が来た。耿として羽裏を光らせて行くその無数の点々。
煙だ。白い湯気だ。その無尽蔵に涌出するむくりむくりの塊り。
しかも、見るものは空と海との大円盤である。近くは深沈としたブリュウブラックの潮の面に擾乱する水あさぎと白の泡沫。その上を巨きな煙突の影のみが駛ってゆく。
北へ北へと進みつつある。
ハロウ、ハロウだ。
心は安く、気はかろし、
揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……