TRENDIA CLASSIC

蒼白き巣窟

室生犀星

1 / 56

私はいつも其處の路次へ這入ると、あちこちの暗い穴のやうな通り拔けや、墨汁のやうな泥寧の小路から吐き出される種々な階級の人々を見た。職工、學生、安官吏、または異體の知れない樣々な人々が、みんな醉つぱらつて口々に何かしら怒鳴つたり喚いたりしながら、同じ路次から路次を繩のやうにぞろぞろと群をつくつて、熱心な眼つきで、その路次の家々の障子硝子の内に、ほんのりと浮いてゐる白い顏を見詰めてはあるいてゐた。家々の軒燈はあまり明るくないため、燐寸箱を積み重ねたやうにぎつしり詰つた路次は、晝間も日光がととかないので、いつも濕々してゐる溝ぎわの方から、晩方の家々の炊事の煙が靄とも霧とも分らない一種の茫とした調子で、そこらの板圍ひや勝手口の風通しのわるいあたりをうす暗くしたばかりでなく、障子硝子の窓ぐちに座つてゐる女等の顏をも暈して見せてゐた。ちやうど路次を通る人々はすこし背をかがめるやうにすると、内部から硝子窓にぴつたりと顏をおしつけるやうにして座つてゐる女等の眼が、何よりも最初に眺められるやうになつてゐた。かういふ巣窟にありがちな家々の藍ばんだ何だか埃つぽい薄暗さは、假面のやうに濃く白い顏をくつきりと浮き上らせ、ことに魚族のやうな深い澄んだ光をひそませた女等の眼が、じつと、わいわい騷いだり惡口をついたりしながら行く人々の上に注がれてゐた。それはまるで眼ばかりで働くやうに利巧で艷々しく、その上、それ自身が微笑をふくんで、くらい暗のなかにほんのりと漂ふてゐるやうな、しづかな誘惑の味深い光をもつてゐた。

室生犀星の他の作品