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TORENDIA

思ひ出す牧野信一

本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

自死した牧野信一について、その原因を短絡的に結論づける世間の風潮を批判し、芸術家としての苦悩と模索を綴る。牧野は完固たる形式への要求と純粋な情調の間で葛藤し、自らの文体を確立できぬまま習作を続けた。著者は交流の記憶から、牧野が抱えていた孤独や細い手首に漂う悲哀を回想する。また、複雑な精神を単純な分類で片付けようとする現代知識人社会が、繊細な資質を持つ彼を追い詰めたと論じる。

中原中也

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🎧 思ひ出す牧野信一 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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牧野信一が縊死した。原因が何であるか、私は知らない。新聞に拠れば、神経衰弱が原因だし、宇野女史との恋愛なぞといふことも一寸載つてゐたが、どれも直ちに信じる気にはなれない。仮りに正しく神経衰弱が原因だつたとしても、単純な受験生のそれではあるまいし、その神経衰弱の因つて来た所を考へてみたくなる。恋愛の方はといへば、てんで問題にしたくはない。牧野さんといふ人は、恋愛に殉じる態の純情家といふものとは遙かに縁遠いと思はれるからだ。

人が自殺した時、それも作家が自殺した時、その原因を簡単に云つてしまふなぞはよくないことである。何も記者が簡単に云へるものと考へてゐるとは思はないけれど、それを一般世間が可なりオーム返しに信じたりする風景は、なさけなく思はれるのである。

恐らく、人が、思はず云ひ過ぎをしてしまふやうに、自殺も、思はずしてしまふやうなものに相違ない。

芸術家としての牧野さんは、幾分線が細過ぎたやうに私は思ふ。「西部劇通信」だの「ゼーロン」だのを書いた昭和五年の頃は、彼の返り咲きの観があつたし、評判がよかつたのであるが、あの頃のものよりも、それから暫く後に書いた、水車小屋の壁に凭れて月の明りで手紙を読む短篇なぞの方が、遙かに牧野さんらしいものであると思はれる。「西部劇通信」にも無論個性は十分に現はれてゐるのであるが、人物をギリシャ人に仕立てたりするあの仮構は、作者自身にしつくりしたことではなかつたと思ふ。手短かに云へば、作家牧野は、もつと書き流す態の作をするにはあまりに純粋の要求があり過ぎたし、完固たるフォルムに到達するためにはあまりに情調派であり過ぎたのである。即ち自家の文体を実現し了せなかつたこの作家は、一生涯習作をしてゐたといへるし、絶えざる模索の状態は彼を鬱屈させてゐたのであつた。

そのやうな彼が棲息するに、ただもうゴマカルことを事としてゐるかの如き現代インテリ界は不適当なものであつた。それかあらぬか彼はただ徒らに気を弱くされてゐた。

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