TRENDIA CLASSIC

詩と現代

中原中也

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由来芸術と時代との関係は、屡々取扱はれる所ではあるけれどもその問題本来の性質のせゐか、ハツキリとした結論に到達してゐる場合は、極めて稀である。そこで私は今此の問題を全体的に扱はうとする気持をなるたけ自分から排除したいやうに思ふ。その方が却て容易に真実に近づくことが出来るやうに思へるからだ。

扨、現代が芸術にとつて、好都合な時代でないといふことは、漠然と乍ら、既に誰人の胸にも抱懐されてゐる所である。そして、恐らくそれは当つてもゐよう。勿論時代といふものは極めて包括的に観る場合にのみその姿を現すがやうなものであるから、現代が芸術のためには明かに不幸な時代であるとしてからが、それは必ずしも芸術家個人々々にまで直ちに不幸な時代といふことを意味しはしまい。然るに、とまれ、芸術が世界を通じて昨今衰微してゐることは争はれない所であらう。

私はその衰微の原因の第一として、先づ論理的性格の欠乏といふことを指摘したい。――芸術といふものが、卑近な意味では、屡々女性的なものだとせられ、甚だしくは論理を無視する処から発生するとさへ考へられるにも拘らず、実は、芸術くらゐ論理的な謂はゞ男性的な性格と環境とを必要とするものはないやうに思はれる。之を倫理的にいひ直してみれば、信義ある時代にこそ芸術は容易に発展するものなのである。

そんなわけで、信義に乏しい現今は、芸術家達が、恐らく甚だしい孤独に逐ひ込められてゐる筈である。信義に乏しい世間の前に、個人の信義は如何にも無力なものだし、もはや信義に篤からんがためには、人は自室に引籠るよりほかはないといふも過言ではない程だ。斯かる時純粋芸術が在りとするや、芸術が幸福な時代におけるよりも却てそれは謂はば純粋に過ぎる、純粋もいいが線が細過ぎる、といふやうなことが、いへるといふやうなことはなからうか?

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