とんぼの眼玉
本文約8,300字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
箱根や小田原の自然に根ざした童謡の世界を綴る。著者は、子供の純粋な感覚を大切にする本来の日本の童謡復興を掲げ、学校唱歌や西洋風の訳詞に圧迫される現状を憂う。本書は、四季折々の野山や祭りの風景、動物たちの愛らしい情景を生き生きと描いた詩歌を収める。大人の理性による智慧ではなく、子供の素直な感覚に還り、自然のいのちの流れるままに、純粋な日本人の心を込めた童謡を次世代へ伝えようとする思いを込めた作品群である。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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はしがき
山火事焼けるな、ホウホケキヨ、
可愛いい小鹿が焼け死ぬぞ。
これは春の暮、夏のはじめの頃に、夕方かけて、赤い山火事の火の燃える箱根あたりの山を眺めて、この小田原の町の子供たちが昔歌つた童謡の一つだと申します。
昔の子供たちはかういふ風におのづと自然そのものから教はつて、うれしいにつけ悲しいにつけ、いかにも子供は子供らしく手拍子をたたいて歌つたものでした。
それが、この頃の子供たちになると、小さい時から、あまりに教訓的な、そして不自然極る大人の心で咏まれた学校唱歌や、郷土的のにほひの薄い西洋風の飜訳歌調やに圧えつけられて、本然の日本の子供としての自分たちの謡を自分たちの心からあどけなく歌ひあげるといふ事がいよいよ無くなつて来てゐるやうに思ひます。
今の子供たちはあまりに自分の欲する童謡やその他を、その学校や親たちから与へられて居りません。それは今の世の中があまりに物質的功利的であるからでもあります。
私たちの子供の頃は今から考へましても、それはなつかしい情味の深いものでした。あの頃子供であつた私たちがいかほど大人になりましても、いつまでも忘れられないのは、幼い時母親や乳母たちからきいたあの子守唄の節まはしです。
でん/″\太皷に笙の笛のあの「ねんねのお守は何処へ行た。」や、山では木のかず萱のかず、天へのぼつて星のかずの「坊やのかはいさ限りない。」や、十三七つの「お月さま」や、十五夜お月さま見て跳ねるのあの「うウさぎ兎」や、こつちの水は甘いぞ、あつちの水は苦いぞの「赤い帽子の蛍」や、一羽の雀が云ふことにのあの「三羽の小さな雀」の謡や、思ひ出せば数かぎりもありません。