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TORENDIA

金峰山

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

秩父山塊の金峰山に対する幼少期の記憶や、上野の博物館で見た蔵王権現像への関心を起点に、山岳への執着を綴る。著者は明治二十六年の旅で山への登頂を断念するも、志賀重昂の『日本風景論』から多大な刺激を受ける。二十九年、長期間の縦走計画を立て、ついに念願の頂へと向かう過程を描く。岩の梯子を登り、五丈石に到達して周囲の眺望を堪能し、山に身を委ねて深い思索に耽るまでの体験を通じて、山を味わうことの真髄を体得する。

木暮理太郎

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🎧 金峰山 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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秩父山塊の金峰山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。此山の名を知ったのは小学校の何級であったか忘れたが、何でも暗射地図で甲州の北境に栗の毬殻に似た大きな山の符号があって、それが金峰山だと教えられたのが最初である。お寺を小学校に代用していた田舎のことではあるし、まだ「いろは」も碌に知らないうちから『小学生徒心得』という漢文直訳体の本を読ませたり、今でいえば尋常二年には既に『十八史略』が教科書に用いられた程、読む事に重きを置いた昔の寺子屋風が残っていた時代のことであるから、地理の教授などは極めて簡単で、大抵この暗射地図で山川都邑の名を暗記せていたのであった。勿論金峰山がどんな山であるか、夫に就て少しも知る所の無い先生は、単に蔵王権現の祭ってある高い山だと教えたのみに過ぎない。その蔵王権現も神か仏か、うるさく質問する生徒達に一喝を浴せたのみで更に説明はして呉れなかった。

四、五年の後に東京に留学するようになって、或日上野の博物館を見物した。古代仏像の陳列室を丹念に品目だけ読んで行くと、ふと蔵王権現というのが目に付いた。高さ一尺二、三寸の銅像で、左の足で蓮花を踏み、右の足を高く上げ、左の手は腰にあて、三鈷を持った右の手を頭上に振りかざし、稍忿怒の相を帯びた半裸体のものである。之を見ると金峰山のことが想い出されて、次の機会には是非之に登りたいものだと決心した。私の金峰登山は謂わば蔵王権現の導きであるから、帰命宝蓮花を三唱して仏恩に感謝しなければなるまい。秩父の山の中で、金峰山に深い執着を感ずるのは、この為であるかも知れない。

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