登山談義
本文約8,200字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期から山に親しんだ著者が、自身の山との関わりや、かつての農村における講中による信仰登山の実情を回想する。高所への好奇心や冒険心を育んだ故郷の環境、富士山への初登山体験、そしてかつての登山者の服装や食料、風習について記述する。また、近現代における登山スタイルの変化や、信仰を背景とした平民の団体登山の歴史を考察し、先人から受け継いだ登山文化をより良い形で後世へ伝えていくことの重要性を綴る。
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八月二十日於霧ヶ峰「山の会」講演大意、後補筆
昔からお談義を聞かせるのは大抵老人と極っているようで「またお談義か、うんざりするな」というようなことは、日常見聞する所であります。事実、相手の好むと好まざるとを問わず、聞かせたがるのが老人のお談義でありますから、私の話題を「登山談義」ときめた石原さんは、誠に気の利いた題を選んで呉れたものと感心したのでありますが、聞く皆さんの方では、さぞうんざりすることであろうとお気の毒に存じます。
正直に白状すると、私は比較的多年山に登って居りますが、友人の田部君や其他の多くの人人のように、登山の意義とか、山は如何に自分を影響しつつあるか、或はあったか、というような哲学的見地とでもいいますか、そういう思想上の方面から登山を観察して見ようとしたこともなければ、況して科学的研究などは、全く自分の柄にないことで、出来ないことには一切手を出さないことにしています。こうした登山ではいくら登山しても、其内容は極めて貧弱であるに相違ありません、ですから登山界に何の貢献する所も無いのは当然で、有らゆる物に徹底しなければ満足し得ない今の世の中には、不思議にも間抜けた存在でありますが、それにも拘わらず山が好きで、山を謳歌し山を楽しんでいることは、昔も今も変りがない。広い世の中に私のような登山者が若し有りとすれば、余所ながら同病相憐んでいる次第であります。