TRENDIA CLASSIC
マル及ムレにつ
いて
木暮理太郎
1 / 20
本稿は昭和十一年十一月十五日霧の旅会で催した集会の席上に於て述べたもので、謂わば私の物ずきな地名穿鑿の際にふと思い付いた考に過ぎないのであるが、山名や地名などを考証する場合、時としてはこうした方面も考慮に入れて然る可きではあるまいかと思うので、本誌に掲載して読者の一粲を博することにした、何かの御参考ともなれば幸である。
『甲斐国志』の提要の部を見ると、郡名の条に
都留郡(和名抄云二豆留一。残簡風土記云或連葛。云々。)連葛トハ富士ノ山足北ヘ長ク延テ綿連如二蔓葛一然リ、方言ニ山の尾づる尾さきト云、後人代ルニ以二鶴字一為二嘉名一(本郡ニ有二桂川一。方言桂葛ノ訓相混ジ遂ニ転二文字一他ニモ此例多シ。)
とある。この「残簡風土記」というのは、和銅六年の制によりて編纂された「古風土記」の残簡ではなく、「日本総国風土記」なるものの残簡であると称せられるもので、全く後人の仮託に成り、多く信を措き難いものであることは、識者の既に論証しているところであるが、『甲斐国志』の編者は、この蔓葛を長く北へ延びた富士の山脚を指して云うたものと解釈して、これを都留なる郡名の起りであるとし、後になって嘉名の鶴の字が代用されたことは、恰も桂川の桂の字が蔓に縁のある葛であったのに、同訓相混じてこれも嘉名の桂の字が転用されるに至ったのと同様であるというのである。
然し甲斐の国に残されたる「古風土記」の唯一の逸文(後に出す)に拠れば、明に鶴郡となっているのであるから、後人が嘉名の鶴の字に代えたのではなく、和銅以前から既に鶴の字が用いられていたのである、それが「風土記」を編纂する際に
畿内七道諸国郡郷名着二好字一。
又は
凡諸国部内(式の民部をいう)郡里等名並用二二字一、必取二嘉名一。
木暮理太郎の他の作品
TRENDIA CLASSIC
針木峠の林道
木暮理太郎
針木峠の林道
木暮理太郎 ・ 約5分
TRENDIA CLASSIC
秋の鬼怒沼
木暮理太郎
秋の鬼怒沼
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
朝香宮殿下に侍
して南アルプス
の旅
木暮理太郎
朝香宮殿下に侍して南アルプスの旅
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
後立山は鹿島槍
ヶ岳に非ざる乎
木暮理太郎
後立山は鹿島槍ヶ岳に非ざる乎
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
越中劒岳
木暮理太郎
越中劒岳
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
大井川奥山の話
木暮理太郎
大井川奥山の話
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
美ヶ原
木暮理太郎
美ヶ原
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
奥秩父
木暮理太郎
奥秩父
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
尾瀬雑談
木暮理太郎
尾瀬雑談
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
釜沢行
木暮理太郎
釜沢行
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
思い出す儘に
木暮理太郎
思い出す儘に
木暮理太郎
TRENDIA CLASSIC
嘉陵紀行
木暮理太郎
嘉陵紀行
木暮理太郎