ケシの花
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
マリー・ロランサンの絵画を思わせる儚くも凛としたケシの花の美しさと、その短い命について綴る。蕪村や一茶らによる俳句の引用を通じて、ケシの花が持つ詩情や情景を論じ、古人の観察眼と表現の妙を読み解く。さらに、ヒナゲシの伝説や雪秀による俳句を取り上げ、花と雨の取り合わせが醸し出す情緒に触れつつ、古人の作に見られる簡潔で品のある表現への敬意を込めた随筆である。
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ケシの花はマリー・ロランサンの絵を思はしめる。後者はまた前者を連想せしめる。双方はかなげで、煙となつて消えさうで美しい。はかなげといつても、それがきつぱりとしてゐて、何やら凜としてさへ見える。ケシの花は花期が短かい。三日を出でず、と歳時記などにも記されてゐる。サクラの花よりもいつそう散りぎはがいい。草本であるのが惜しまれるくらゐ、喬木ででもあればいつそう評判がいいであらう。それのうけもつ季節もいい。初夏六月、麦は枯れても野外の緑はまだそれほど暑くるしくはない。羽化して空に舞ひさうなあの四弁の紅白紫、とり/″\に遠景近景の浅緑と映じあつて、夢のやうな好ましいトーンを生む。そのつり合ひはこの季節そのもののはだざはりのやうで、微妙なものはこはれやすい、花の命の短かいのもやむをえないことかとさへ思はれる。ロランサンを思はしめるのもあるひはそんな点であらうか。一茎に一花をささげた姿もシヤレてゐる。
けしの花籬すべくもあらぬかな
といふのは蕪村の句である。畑作りのものではなく、庭前のものではあつても、なるほどこれにまがきを結ひめぐらすわけにはいくまい。もつともなことをいつて淡如とした詩感を寓すること、まず村翁のやうな巧みな作家はない。いまの俳家のうちこれにならふ人を見ないのは惜しまれる。
僧になる子の美しやけしの花
人事に結びつけたこの方は一茶である。ケシの花がやがて青坊主になる、といふのに意を寓してひつかけた作と見ると、たいへんいや味な句のやうであるが、ただそこいらにさういふ行末のかれんな少年が遊んでゐてかたはらにこの花が咲いてゐたといふ風に、単に叙景の作としてのみうけとると、これもなか/\面白いいい句である。花の命をつまみ出すやうにとらへてみせた手腕はさすがである、と私ならさうあつさりと見ておきたい。
ヒナゲシの虞美人草は、古美人の伝説があつて、花ものいふ如くひとしほそれがいたいけに佳麗に見える。
はつ夏の空青ければ
いよいよにふかき紅
みじかかる命と知りて
こは艶によそふひなげし