自序にかえて
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あらすじ(AIが作成しました)
詩集『岩魚』の読売文学賞受賞にあたり、著者がその経緯や作品の構成について語る。本書を飯能の若手詩人たちが出版したことへの謝意、配列の不備に対する反省を述べる。また、世間から東洋的な詩人と呼ばれることについての自己認識や、西洋の詩論と禅に代表される東洋の詩論を対比させ、東西の詩論を統合したいという長年の創作における念願を綴る。入院による療養中で授賞式へ参列できない心情を含め、これまでの歩みを振り返る一編である。
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はからずも権威ある読売文学賞を受賞して驚くとともに、たいへんうれしく思つています。
もともと詩集『岩魚』(初版)は、飯能在住二十年を祝つてくれる意味で、飯能市の若い詩人たちが計画出版したものであります。だから、受賞などということは夢にも考えなかつただけに、ほんとうにうれしく思いましたが、全体の配列とか、バランスとかにあまりこだわらないで、なにげなく二十年も前の詩なども入れてしまつたことなど、受賞してみると、この不体裁をなんとも残念に思つています。これはまつたく私自身の落ち度で、もし『岩魚』が再版される機会があれば、その部分は除いて出版したいと思つております。
さて、もともと私のことを、世間では東洋的な詩人だと称していますが、決してそれに不服は申し上げませんが、私は特に東洋的な意識をもつて書いて来たのではなく、ただ自然な状態において、東洋的であり、日本的であることはきわめて当然なことであると思います。たとえば、ロダンやセザンヌがフランスの自然を愛し、また同時にフランス人であつたのと同じことではないかと思います。私は、これまでできる限りヨーロツパの詩論や詩も研究して来たつもりであります。と同時に東洋には、以心伝心的な東洋独特の詩論がやはり存在し、その一面を代表するものは禅の考え方ではないかと思います。これは、ヨーロツパの詩論とある意味において対立した考え方かもしれません。私は生涯の念願として、この二つの東西の詩論をなんらかの形でまとめたいと考えながら、工夫して来たつもりですが、それにもかかわらずご覧のような出来ばえで、誠にお恥ずかしい次第であります。
ただいま私は、入院中で絶対安静を命ぜられておりますので、晴れの受賞式に参加できないことは誠に遺憾の次第であります。(口述)
昭和四十年二月一日
完