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TORENDIA

校歌「都の西北」と私

本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

早稲田大学の校歌「都の西北」を作詞した相馬御風は、二十五歳でこの作品を完成させた経緯と、校友の熱唱によって校歌が母校に同化した現状を綴る。作曲を担った東儀鉄笛との協働や、坪内逍遥らの助言を経て完成した過程を振り返り、作者としての意識を超えて母校への思慕を掻き立てるこの歌への格別な愛着を語る。あわせて、今は亡き協力者たちへの追憶や、時を経ても衰えない学園への変わらぬ熱い思いをこの随筆に収める。

相馬御風

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🎧 校歌「都の西北」と私 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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五月十五日發行の『早稻田大學新聞』に「世界的の名校歌」と題して次の如き記事が掲げられてゐた。

「心の故郷我等が母校」と歌つて來ると熱い涙がにじみ出る。無限の魅力を持つた早稻田大學校歌は今日全國津々浦々の兒童に至るまで高唱せぬ者はない。全早稻田の精神氣魄を擴充し抱擁した歌詞といひ旋律といひ、恐らく世界的名校歌であらう。が然し、この名校歌が生れるまでの裏には幾多先輩の苦心が織込まれてゐるのだ。恰も大學名物早慶野球戰春の試合を前にして過去の追憶を新たにし、併せて先輩諸氏への餞けにと校歌創誕當時の物語りを繰展げよう。

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故小野梓先生、高田早苗先生の大先輩に依つて、開校の式を擧げたのは實に明治十五年十月廿一日で以後二十年間は校歌の存在をみなかつた。明治卅五年に創立廿年記念大會が十月十九日から三日間開催された。當日鳩山校長高田學監を初めとし各科學生は運動場に集まり、大隈伯邸から繰出した講師校友と合同して五時三十分號令一下紅地に白く「早稻田大學」の五字を染拔いた酸漿提燈に點火し、音樂隊の吹奏につれて「煌々五千の炬火」のマーチを歌ひながら勇ましく校門を出發した。これは故坪内博士の作詞で、曲は「四百餘州を擧る」のそれを轉用したものだ。

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