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TORENDIA

遊びの藝術

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

短歌の滅亡を危惧する風潮や、創作活動を遊びと揶揄されることへの世間の反応を題材に、表現における真の精神的態度を論じる。著者は短歌の存続を論じるよりも創作の衝動に忠実であることの重要性を説き、人生の重大事としての「遊び」の意義を再評価する。他者からどう見られるかを気に病むのではなく、自覚的にいかに遊ぶかという人生の姿勢を問い、遊びを通じて天地と交わる古人の境地を理想的な芸術の姿として提示する。

相馬御風

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🎧 遊びの藝術 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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短歌が滅亡するかしないかといふやうなことが先頃だいぶ問題になつてゐたやうである。尤もそれは最初誰かその方面の人が問題にしたのではなくて、雜誌編輯者の提出した問題がもとゝなつて一部の人々がそれについての意見を述べたのであるらしい。だから嚴密にいへばそれは或る歌人の心におのづから切實な問題として來たのでなくて、偶然第三者から問題を提出されたことがもとゝなつたことで、隨てさう眞劍にとりあげるほどのこともないと云へる。

そも/\、歌をよみ、且歌をよむそのことに生命のよろこびを感じてゐる人に、短歌が亡びるか亡びないかなどといふ疑問が起つて來るやうな心のスキなどあるべき筈がない。たま/\單なる智識上の疑問としてそんな考が起つて來たとしても、そのことが自己の歌をよまうとする心にまで陰を投ずるやうなことがあらう筈がない。よまずに居られずに歌をよんでゐる者にとりては、歌が亡びる時があるかないかなどいふことは、どうでもよいことであるべき筈である。一體、亡びるか亡びないかの心配をし出した日には、此の地上のもので何一つ其の心配の種とならぬものはない。私達が生きてゐるのは、人類が永遠に生きるものであるか否かによつてゞはない。人類の生命が永遠であらうとなからうと、生きずには居られぬから私達は生きてゐる。短歌だつていつか滅亡する時があるかも知れない。それだつていゝではないか。よしそれだからといつて歌はずに居られなかつたらしようがないではないか。そんなことよりも何よりも心配するとしたら現在私達の使用してゐる言葉から先に心配してかゝらなければならないわけだ。そんなことはどうでもいゝぢやないかと投げ出して知らん顏でゐるところに、私達は本當の歌人としての面目を見たく思ふ。

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それから又よく世間には、「君たちのやつてゐる事は、遊びぢやないか」とけなされたりすると、むきになつて「俺達のやつてゐることは遊びなんかぢやないぞ」といふことに辯解これ努める歌人などが少なからず見うけられる。これも一方から考へると、いかにも、尤もなことのやうであるが、一方から考へると必ずしもさうではない。

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