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TORENDIA

蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

戦争末期の京都、東山の高見から町を眺めていた著者は、滅びゆく不安の中で「そのままが調和である」という境地を直感する。その後、山科の峠で虫に食い尽くされた山桐を目撃し、食う食われるという凄惨な光景が、同時に養い養われる関係性にあることを悟る。対立する現実を調和として受け入れることで不安の中に平安を見出すまでの、自らの思索と山科での体験を綴る。

河井寛次郎

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🎧 蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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戦争も終りに近づいた頃でありました。東京も大阪も神戸も都市という都市が、大抵やっつけられてしまいまして、やがてはこの京都も、明日ともいわず同じ運命を待つ外ない時でありました。

私は毎日のように夕方になるとこの町に最後の別れをするために、清水辺りから阿弥陀ヶ峰へかけての東山の高見へ上っていました。

その日もまた、警報がひんぱんに鳴っていた日でありました。私は新日吉神社の近くの木立の下のいつも腰掛ける切株に腰掛けて、暮れて行く町を見ていました。明日は再び見る事の出来ないかも知れないこの町を、言いようもない気持で見ていました。

その時でありました。私は突然一つの思いに打たれたのでありました。なあんだ、なあんだ、何という事なんだ。これでいいのではないか、これでいいんだ、これでいいんだ、焼かれようが殺されようが、それでいいのだ――それでそのまま調和なんだ。そういう突拍子もない思いが湧き上って来たのであります。そうです、はっきりと調和という言葉を私は聞いたのであります。

なんだ、なんだ、これで調和しているのだ、そうなのだ、――とそういう思いに打たれたのであります。しかも私にはそれがどんな事なのかはっきりわかりませんでした。わかりませんでしたがしかしいつこの町がどんな事になるのかわからない不安の中に、何か一抹の安らかな思いが湧き上って来たのであります。私は不安のままで次第に愉しくならざるを得なかったのであります。頭の上で蝉がじんじん鳴いているのです、それも愉しく鳴いているのです。さようなら、さようなら京都。

それからは警報が鳴っても私は不安のままで平安――といったような状態で過ごす事が出来たのでありました。

しかし何で殺す殺されるというような事がそのままでいいのだ。こんな理不尽な事がどうしてこのままでよいのだ――にもかかわらず、このままでいいのだというものが私の心を占めるのです。この二つの相反するものの中に私はいながら、この二つがなわれて縄になるように、一本の縄になわれていく自分を見たのであります。

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