江戸前の釣り
本文約105,900字 ・ 読了時間 約212分
あらすじ(AIが作成しました)
落語家の視点から、自身の釣りの経験や思い出を綴った随筆。趣味としての釣りの楽しさや苦労、釣具へのこだわり、そしてかつての江戸前の舟宿や船頭との人間模様を描く。テレビ番組で語った内容や過去の記憶を織り交ぜつつ、釣りを通して得られる人生の教訓や、季節ごとの釣り風景、さらに釣った魚の料理法までを、随所に川柳や小ばなしを交えて紹介する。
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はじめに
魚釣りと人生は実によく似かよったところがある。女は男を釣り、男は女を釣ろうと思って釣られている。ぼくの釣りも、魚に釣られて帰ることが多い。しかし釣りは、忍耐を教え、辛抱強くさせてくれる。釣りの失敗は、つまり人生の失敗ともいえる。
五十年間の釣りを振り返ってみると、失敗だらけで、何も残っていない。落語も釣りも、未完成のまま、人生の終点が近くなった。
それでも、これからも落語の研究ができ、古典の奥行きが深まり新作がやれ、また釣りのほうも、よい釣り場をみつけ、珍しい釣りの仕かけを考え、大釣りをすることもあるような気持ちがする。といっても、漁師の釣りではないから、一大漁業会社を始めようという野心はない。はなし家の釣りだから、どこまでも遊技的である。
その実、落語も、客に受けようという欲が出るので、いつまでもうまくならない。釣りも、一尾でも余計に釣ろうと思うので、未だに悟りきれずにいる。
近ごろ、レジャーブームという言葉があるが、自分一人楽しんで家族を困らせるのは、娯楽の本質でない。月に一回ぐらいは、家族慰安デーとしたい。子供の好きな映画にも連れ出されるし、ぼくのほうも家内、子供を釣りに連れて行こうと思う。
出版社から、どこまでも初心者が読んで楽しく、釣った魚の料理まで書けといわれたが、何度もいうように、ぼくは釣りもへた、料理もうまくない。ただし、好きということについては、他人さまの二倍も三倍も好きだから、けっこう自分では楽しんでいる。
毎月、『釣りから料理食べるまで』というテレビの番組を引き受けてやっていた。それを、順序もなく一杯飲みながら、駄ジャレまじりにしゃべったことや、子供時分からの釣りの思い出などを書いたのだが、重曹、調味料代わりに川柳、小ばなしを入れ、いわば半端布を切り集めて縫い合わせた漁師の仕事着のようなものである。しょせん、小原女染めほどの風流気は出ない。それに、時代のずれもある。