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TORENDIA

歡樂

本文約25,400字 ・ 読了時間 約51分

あらすじ(AIが作成しました)

四十歳を超えた小説家の先生は、日比谷公園を散策しながら、自身の若き日の恋愛や文学への傾倒について語る。特に三十二歳の時に経験した激しくも切ない恋の回想が物語の軸となる。その恋は春の訪れとともに始まり、深い愛着と恍惚に満ちていたが、やがて相手の女性が去ることで幕を閉じる。先生は、青春の情熱を失った現在の孤独と、詩人として生きることの矛盾を内省し、過ぎ去った喜びと痛みという夢の影を追う。

永井壯吉

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一

………人は幾度も戀する事が出來るだらうか。唯た一度しか出來ないと、女性は必ず云ひ張るに違ひない。男でも古臭いロマンチツクな夢から覺めないものは、矢張り同じやうな事を云ふかも知れない。誰でも戀に熱してゐる最中にはそれが生涯の戀の最初最終であるらしく感ずるのは當然の事で。もし其の戀に成功してしまつた後、一生涯それ以上熱烈な感激を覺えずにしまつたなら、我輩はさう云ふ人達を幸福だと羨むばかりで、折角その人の實驗から得た斷定を否定しやうとは思はない。つまり、運命が其の人にはさう云ふ戀の斷定をさせるやうに、さう云ふ戀の經驗を與へたのだから。その代り、我輩も自分の經驗から得た自分の斷定を、他人の經驗一圖で否定して貰ひたくない。二十世紀は紛亂の時代だ、經驗から自己が感じたものより外に眞理はない。君達は富豪の兒に向つて、あなたは盜みをしなかつたから一代の道徳家であると褒める必要を認めまい。只だ富豪の兒は盜みする程貧しくなかつた。盜みする必要にも機會にも出會はなかつたと云ふ事實を認識して單純に幸福な人だと思へば充分であらう。我輩は一度しか戀しなかつた人を單純に幸福だと云ふばかりだ。

こんな議論を聞きながら、四月も末の晴れた晝過ぎ、私は文壇の先輩なる小説の大家○○○○氏と日比谷公園の若葉の小徑を散歩した。年頃はもう四十歳を越して、學者や詩人にのみ見らるべき思想生活の成熟期を示す沈痛な面の表情が、うつとりして疲れたやうな眼の色に和げられて、云ふにいはれず優しく又懷しく見える。血色のよい額にはまだ皺一ツなく其の上に長く垂らした髮の毛は眞黒であるが、風のたび/\木の葉を漏れる強い日光に照らされて、其の濃い口髯には早や數へられぬほどの白髮が銀の絲の如く輝くのが目に立つ。私は日頃懇意にしてゐながら、この瞬間までは少しもその髯の白さには氣がつかなかつたので、久しく幽婉な筆致と熱烈な情緒を以て吾々の若い血を躍らせた詩人も、已にこのやうに老いたる人であつたのかと、突然一種の悲哀と不安を覺えて、何とはなしに其の顏を眺めながら、訊くともなく、

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