TRENDIA CLASSIC

国民性の問題

永井荷風

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現代における芸術の問題は要するに日本の国民性全体についての問題である。芸術をお上の役人が検閲するのが好いとか悪いとかいって議論して見たところで、いまの一般社会がよくもならなければ悪くもなるまい。依然としていまの状態をつづけて行くにきまっている。しかし、社会に対する一つの刺戟にするのなら、問題にしてもいいと思うが、一体日本の現在の社会状態は女の腐ったようなもので、絶えず愚痴をいってみたり、泣言をいってみたりするが、いざそれをはっきりと片付けようとすると、どこかが神経衰弱で何にも出来ないといったような状態である。近い例が政治問題にしてもその当事者だけはいろいろ議論をしたり何かするけれども輿論は少しも、それによって真底から動きはしない。芝居のこと、文学のこと美術のことなどは分けてそうである。

芝居のことでいえば、どんな芝居を見せても、見物は何ともいわずに見ている。もしあったところで、その見物人にとってはどうでもいいことなのであるから、結局なんでもないことになる。近頃の新劇と昔の黙阿弥の芝居と一所に並べて見せられても何とも思わない見物なのである。

美術のことにしてもそうである。文部省でこしらえたり、美術院でやったりする展覧会に、特別室を設ける必要があり、その特別室へも陳列を許さない作品もある。政府で選定した専門家である審査員が選定したものでも警視庁なり、内務省なりの役人が検査をしてそのために陳列を撤回させたり、その検査の後でないと一般にも公開を許さない世の中である。といって、審査員が、そんなに顔をつぶされても、そのために辞職もしないで、平気な顔をして審査員の職にいるし、出品者も、それに憤慨して出品しなくなるわけでもない。またそのために美術学校へ入る生徒がなくなるわけでもない世の中である。

文学でもそうである。作家の書いたものを政府でいけないといって発売を禁止する。後で叱言をいう位で事がすむ。作家の方でも、それに対して真剣になりもしない。

一たいにこんな風である。これではいけないから西洋風にせよ、ということも言えるけれども、それも私には疑問に思われる。

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