職工と微笑
本文約70,500字 ・ 読了時間 約141分
あらすじ(AIが作成しました)
元小学校教員の著者は、思想を所持しているという理由で免職となり、失職を経て三流文士となる。本作は、著者が自動車に乗る母子や運転手の心情、鳩の行動などを通じて描く慈愛に満ちた小品や、自身の周囲で起きた放火や恋愛にまつわる陰惨な事件についての対話を綴る。無秩序な思考と紛乱の中で、社会の不正に反抗しつつも善と正義のために生きること、そして個人の抱える深い悲しみと葛藤を吐露する。
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序言
私は当時、単なる失職者に過ぎなかった。とは云え、私自身とは全体何んな特質を持った個体であったのか? 物の順序として、先ず其れから語り出されねばならない。
別段大きな特質を持たぬという点が私の特質であった故に、私は私自身に就いて、其れ程長い説明を此処で試みようとは思わない。正直と簡単とを尊重して、私は次の事丈を読者に告げ得れば、もうそれで満足である。
私は一時、小学校の教員であった。そして直きに免職となって了う事が出来た。何故免職となり得たか? 日本語の発音及び文典の改良策に就いてと、それから小児遊園地の設計に就いて校長と少し許り論争した結果、私自身が何かしら「思想」と言ったようなものを所持している事が発見されて了ったからである。実に其の思想がいけなかった。多くもない私の特性のホンの一部がいけなかったのである。断って置くが、私は何んな場合でも過激を遠慮する内気な人間の部類に属し、却って年老いた校長の方が進取的な気質に満ちて「堕落しても好いから、新しいもの!」と云う希求を旗印しに立てていたのであった。従って、此の場合では、世間に好くある新旧思想の衝突と云ったようなものが恰度逆の状態で醸成されたのである。
少し冗長になるが、それを我慢して話すならば、校長は恐ろしいエスペランチストで、幼稚園の生徒へ向って迄、此の世界語の注入に熱中したのである。光を受け入れる若芽のような学童たちは珍らしいものに対して覚えが早かった。彼等は花や樹の葉の事、又「嬉しい嬉しい。」なぞと云う事を皆エスペラントで話し初めた。そして皆が
「ボー、ボー。」と叫んだ。
此の「ボー。」が校長に取っては悪かった。彼も私が免職になってから直き、矢張り同じ運命になって了ったのである。
そんな事は何方でも構いはしない。話したいのは、もっと別の点である。私は一体それから何うしたのか? 勿論貯金があったので喰うに困りはしなかった。否、寧ろ充分な閑暇を利用して、少しばかり学問を初めさえしたのである。そうして、一年許りの内には、三流文士として、四流の雑誌へ、小さな創作を掲げて貰える程に出世をした。