駆逐されんとする文人
本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
市区改正による都市の膨張と交通機関の発達は、市街の生活を激変させる。都会で育った文人は、地価高騰や生活費の増大に追われ、郊外へと押し流される現実を経験する。本作は、文明の恩恵を享受しつつも、機械的な労働を強いられ生活圏を追われる文人の苦境を綴る。経済的圧迫と精神的な疲弊に直面する彼らの姿を通じ、現代社会における文化と生活の在り方を論じる。
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▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。余の住居は往来から十間奥へ引込んでいたゆえ、静かで塵埃の少ないのを喜んでいた。処が二三年前市区改正になって、表通りを三間半削られたので往来が近くなった。道路が広くなって交通が便利になったお庇に人通りが殖えた。自働車が盛んに通るようになった。自然商店が段々殖えて来て、近頃は近所の小さな有るか無いかのお稲荷様を担ぎ上げて月に三度の縁日を開き、其晩は十二時過ぎまでも近所が騒がしい。同時に塵埃が殖えて、少し風が吹くと、書斎の机の上が忽ちザラ/\する。眺望は無い方じゃ無いが、次第にブリキ屋根や襁褓の干したのを余計眺めるようになった。土地の繁昌は結構だが、自働車の音は我々を駆逐する声、塵埃の飛散は我々を吹払う風である。
▲文明とは物質生活の膨張であって、同時に精神生活の退縮である。文明を呪う声が精神生活の側から生ずるのは当然である。
▲或る人が来て、世間の人は電車が出来て便利になったというが、我々は電車のお庇で辺鄙が賑かになって家賃が騰るので、延長する度毎に段々遠くへ転さなくてはならないから、電車の出来たのが却て不便だと云った。
▲近頃は巣鴨や大塚、中野や渋谷あたりから中央の市街へ毎日通う人は珍らしく無い。逗子や鎌倉から通う人さえある。便利だと云えば便利だが、茲に不便があると云えば又云われん事は無い。電車や自働車の発達したお庇に、金のあるものが市街を離れた郊外に広大なる邸宅を構えるは贅沢だが、金の無いものが家賃の安い処へと段々引込まざるを得なくなるのは悲惨である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。
▲戸川秋骨君が曾て大久保を高等裏店だと云ったのは適切の名言である。