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TORENDIA

十九の秋

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

明治三十年の九月、十九歳だった著者は父母と共に上海へ渡る。かつて父が交流した清朝の人々との思い出を胸に、異国の地で目にする鮮やかな風俗や光景に深い感銘を受ける日々を送る。やがて現地での就学を望むようになるが、冬には母と共に帰国の途に就くこととなる。著者が若き日に上海で体験した異郷の記憶と、かつての景色や風俗が失われた現在との対比を綴る随筆である。

永井荷風

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🎧 十九の秋 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼しみを訂めている遑がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いがある。

子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶している。父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨の交を訂めておられたのである。

何如璋は、明治十年頃から久しい間東京に駐剳していた清国の公使であった。

葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。

毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如璋の揮毫した東坡の絶句が懸けられるので、わたくしは老耄した今日に至ってもなお能く左の二十八字を暗記している。

梨花淡白柳深青 〔梨花は淡白にして柳は深青

柳絮飛時花満城  柳絮の飛ぶ時 花 城に満つ

惆悵東欄一樹雪  惆悵す 東欄一樹の雪

人生看得幾清明  人生 看るを得るは幾清明ぞ〕

何如璋は明治の儒者文人の間には重んぜられた人であったと見え、その頃刊行せられた日本人の詩文集にして何氏の題字や序または評語を載せないものは殆どない。

わたくしが東京を去ったのは明治三十年の九月であったが、出帆の日もまた乗込んだ汽船の名も今は覚えていない。わたくしは両親よりも一歩先に横浜から船に乗り、そして神戸の港で、後から陸行して来られる両親を待合したのである。

船は荷積をするため二日二晩碇泊しているので、そのあいだに、わたくしは一人で京都大阪の名所を見歩き、生れて初めての旅行を娯しんだ。しかしその時の事は、大方忘れてしまった中に、一つ覚えているのは、文楽座で、後に摂津大掾になった越路太夫の、お俊伝兵衛を聴いたことだけである。

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