TRENDIA CLASSIC

白妖

大阪圭吉

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むし暑い闇夜のことだった。

一台の幌型自動車が、熱海から山伝いに箱根へ向けて、十国峠へ登る複雑な登山道を疾走り続けていた。S字型のジッグザッグ道路で、鋸の歯のような猛烈なスイッチバックの中を襞のように派出する真黒な山の支脈に沿って、右に左に、谷を渡り山肌を切り開いて慌しく馳け続ける。全くそれは慌しかった。自動車それ自身は決してハイ・スピードではないのだが、なんしろ大腸の解剖図みたいな山道だ。向うの山鼻で、ヘッド・ライトがキラッと光ったかと思うと、こちらの木蔭で警笛がなると、重苦しい爆音を残して再びスーッと光の尾が襞の向うへ走り去る。同じところをグルグル廻っているようだが、それでいて少しずつ高度を増して行く。

タクシーらしいが最新型のフェートンだった。シェードを除った客席では、一人の中年紳士が黒革の鞄を膝の上に乗せて、激しく揺れながらもとろとろとまどろみ続ける。背鏡で時どきそれを盗み見ながら、ロシア帽子の運転手は物憂い調子でハンドルを切る。

この道はこのままぐんぐん登りつめて、やがて十国峠から箱根峠まで、岳南鉄道株式会社の経営による自動車専用の有料道路に通ずるのだ。代表的な観光道路で、白地に黒線のマークを入れた道路標識が、スマートな姿体で夜目にも鮮かに車窓を掠め去る。

やがて自動車は、ひときわ鋭いヘヤーピンのような山鼻のカーブに差しかかった。運転手は体を乗り出すようにして、急激にハンドルを右へ右へと廻し続ける。――ググググッと、いままで空間を空撫でしていたヘッド・ライトの光芒が、谷間の闇を越して向うの山の襞へぼやけたスポット・ライトを二つダブらせながらサッと当って、土台の悪い幻燈みたいにグラグラと揺れながら目まぐるしく流れる。と、その襞の中腹にこの道路の延長があるのか、一台の華奢なクリーム色の二人乗自動車が、一足先を矢のようにつッ走って、見る見る急角度に暗の中へ折曲ってしまった。

「チェッ!」運転手が舌打ちした。

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