本文へ移動
TORENDIA

動かぬ鯨群

本文約14,200字 ・ 読了時間 約29分

あらすじ(AIが作成しました)

捕鯨船北海丸の砲手であった夫を時化で失ったと信じる未亡人が、根室の酒場で夫の面影を目撃し騒動となる。同時期、海上で正体不明の捕鯨船をめぐる殺人事件が発生し、当局による捜査が始まる。沈没したはずの北海丸と現存する釧路丸、そして岩倉捕鯨会社が隠蔽していた禁忌の操業と保険金詐欺の疑惑が絡み合い、事件は捕鯨史に残る重大な局面を迎える。北海丸が消えた真の理由と、逃亡した砲手を追う闇の正体が明かされていく。

大阪圭吉

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 18

一

「どかんと一発撃てば、それでもう、三十円丸儲けさ」

いつでも酔って来るとその女は、そう云ってマドロス達を相手に、死んだ夫の話をはじめる。捕鯨船北海丸の砲手で、小森安吉と云うのが、その夫の名前だった。成る程女の云うように、生きている頃は、一発銛を撃ち込む度に、余分な賞与にありついていた。が、一年程前に時化に会って、北海丸の沈没と共に行衛が知れなくなると、女は、僅かばかりの残された金を、直ぐに使い果して、港の酒場で働くようになっていた。砲手は、捕鯨船では高級な船員だった。だから雑夫達と違って、ささやかながらも一家を支えて行くことが出来た。夫婦の間には、子供が一人あった。女は愚痴話をしながら、家に残して来たその子供のことを思い浮べると、酔も醒めたように、ふと押黙って溜息をつく。

最初のうちは、夢のように信じられなかった夫の死も、半歳一年と日がたつにつれ、追々ハッキリした意識となって、いまはもう、子供のためにこうして働きながら、酔ったまぎれに法螺とも愚痴ともつかぬ昔話をするのが、せめてもの楽みになっているのだった。

北海丸と云うのは、二百噸足らずのノルウェー式捕鯨船で、小さな合名組織の岩倉捕鯨会社に属していた。船舶局の原簿によると、北海丸の沈没は十月七日とあった。その日は北太平洋一帯に、季節にはいって始めての時化の襲った悪日だった。親潮に乗って北へ帰る鯨群を追廻していた北海丸は、日本海溝の北端に近く、水が妙な灰色を見せている辺で時化の中へ捲き込まれてしまった。

最初に救難信号を受信つけたのは、北海丸から二十浬と離れない地点で、同じように捕鯨に従事していた同じ岩倉会社の、北海丸とは姉妹船の釧路丸だった。釧路丸以外にも、附近を航行していた汽船の中には、その信号を聞きつけた貨物船が二艘あった。しかし、海霧に包まれた遭難箇所は、水深も大きく、潮流も激しく、荒れ果てていて到底近寄ることは出来なかった。

大阪圭吉の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本