火遁巻
千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。
この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙(千)人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互いに悪口を言い争ったという。
誰彼の差別も容赦もあらあらしく、老若男女入りみだれて、言い勝ちに、出任せ放題の悪口をわめき散らし、まるで一年中の悪口雑言の限りを、この一晩に尽したかのような騒ぎであった。
如何に罵られても、この夜ばかりは恨みにきかず、立ちどころに言い返して勝てば、一年中の福があるのだとばかり、智慧を絞り、泡を飛ばし、声を涸らし合うこの怪しげな行事は、名づけて新手村の悪口祭りといい、宵の頃よりはじめて、除夜の鐘の鳴りそめる時まで、奇声悪声の絶え間がない。
ある年の晦日には、千曲川の河童までが見物に来たというが、それと知つてか知らずにか、
「やい、おのれは、千曲川の河童にしゃぶられて、余った肋骨は、鬼の爪楊子になりよるわい」
と、一人が言えば、
「おのれは、鳥居峠の天狗にさらわれて、天狗の朝めしの菜になりよるわい」
と、直ぐに言い返して、あとは入りみだれて、
「おのれは、正月の餠がのどにつまって、三カ日に葬礼を出しよるわい」
「おのれは、一つ目小僧に逢うて、腰を抜かし、手に草鞋をはいて歩くがええわい」
「おのれこそ、婚礼の晩にテンカンを起して、顔に草鞋をのせて、泡を吹きよるわい」
「おのれの姉は、元日に気が触れて、井戸の中で行水しよるわい」
「おのれの女房は、眼っかちの子を生みよるわい」
などと、何れも浅ましく口拍子よかった中に、誰やら持病に鼻をわずらったらしいのが、げすっぽい鼻声を張り上げて、
「やい、そう言うおのれの女房こそ、鷲塚の佐助どんみたいな、アバタの子を生むがええわい」
と呶鳴った。
その途端、一人の大男が、こそこそと、然しノッポの大股で、境内から姿を消してしまったが、その男はいわずと知れた郷士鷲塚佐太夫のドラ息子の、佐助であった。
佐助は、アバタ面のほかに人一倍強い自惚れを持っていた。