本文へ移動
TORENDIA

大阪の憂鬱

本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

戦後の大阪において、闇市が隆盛を極める様子を綴る。梅田や難波などの闇市には、米や煙草などあらゆる物資が溢れ、そこには統制を嘲笑うかのような独自の秩序が存在する。著者は、かつての洗練された香りを失い、生存のための実用性だけが剥き出しになった都市の姿を見つめる。それは復興という逞しい力に見えながらも、飢餓の恐怖に突き動かされる悪あがきではないかと問いかけ、かつての情景と対比しながら、変貌した街の哀切な実態を描き出す。

織田作之助

速度
🎧 大阪の憂鬱 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 8

一

またしても大阪の話である。が、大阪の話は書きにくい。大阪の最近のことで書きたいような愉快な話は殆んどない。よしんばあっても、さし障りがあって書けない。

「音に聴く大阪の闇市風景」などという注文に応じてはみたものの、いそいそと筆を取る気になれないのである。

――と、こんな風にまえがきしなければ、近頃は文章が書けなくなってしまった。読者も憂鬱だろうが、私も憂鬱である。書かれる大阪も憂鬱であろう。

私の友人に、寝る前に香り高い珈琲を飲まなければ(飲めばの――誤植ではない)眠れないという厄介な悪癖の持主がいる。飲む方も催眠剤に珈琲を使用するようでは、全く憂鬱だろうが、そんな風に飲まれる珈琲も恐らく憂鬱であろう。

それと同じでんで、大阪を書くということは、例えば永井荷風や久保田万太郎が東京を愛して東京を書いているように、大阪の情緒を香りの高い珈琲を味うごとく味いながら、ありし日の青春を刺戟する点に、たのしみも喜びもあるのだ。かつて私はそうして来たのだ。私はまだ三十代の半ばにも達していないが、それでも大阪を書くということには私なりの青春の回顧があった。しかし、私はいま回顧談をもとめられているわけではない。

「かたはらに秋草の花語るらく

ほろびしものはなつかしきかな」

という牧水流の感情に耽ることも、許されていない。私の書かねばならぬのは、香りの失せた大阪だ。いや、味えない大阪だ。催眠剤に使用される珈琲は結局実用的珈琲だが、今日の大阪もついに実用的大阪になり下ってしまったのだろうか。

しかし大阪はもともと実用的だったとひとは言うだろう。違う。大阪以外の土地が非実用的すぎただけで、大阪には味も香もあったのだ。しかも、それはほかの土地よりも高かったのだと言えば、余りに身びいきになりすぎるかも知れないが、すくなくとも私は大阪は香りの高い、じっくりと味うべき珈琲だった筈だと、信じている。

もっとも、珈琲といえば、今日の大阪の盛り場(というのは、既にして闇市場のことだが)には、銀座と同じように、昔の香とすこしも変らぬモカやブラジルの珈琲を飲ませる店が随分出来ている。

織田作之助の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本