死生
本文約9,600字 ・ 読了時間 約20分
あらすじ(AIが作成しました)
東京監獄に拘禁され死刑を待つ著者が、自身の死生観を綴る。死刑を恐ろしいものとは考えず、宇宙の万物が変化し滅びゆく自然の成行と捉える。古今の歴史において刑死した者の中には、悪人だけでなく賢哲や愛国者も数多く存在することを挙げ、死刑の是非や個々の死の意味を考察する。長寿のみを幸福とはせず、自己の分相応に善良な感化を社会へ残すことの重要性を説き、運命を甘受して安心と満足を以て死に向き合う心境を述べる。
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一
私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。
嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、いくら新聞では見、物の本では読んで居ても、まさかに自分が此忌わしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は一個もあるまい、而も私は真実に此死刑に処せられんとして居るのである。
平生私を愛してくれた人々、私に親しくしてくれた人々は、斯くあるべしと聞いた時に如何に其真偽を疑い惑ったであろう、そして其真実なるを確め得た時に、如何に情けなく、浅猿しく、悲しく、恥しくも感じたであろう、就中て私の老いたる母は、如何に絶望の刃に胸を貫かれたであろう。
左れど今の私自身に取っては、死刑は何でもないのである。
私が如何にして斯る重罪を犯したのである乎、其公判すら傍聴を禁止せられた今日に在っては、固より十分に之を言うの自由は有たぬ。百年の後ち、誰か或は私に代って言うかも知れぬ、孰れにしても死刑其者はなんでもない。
是れ放言でもなく、壮語でもなく、飾りなき真情である、真個に能く私を解し、私を知って居た人ならば、亦た此の真情を察してくれるに違いない、堺利彦は「非常のこととは感じないで、何だか自然の成行のように思われる」と言って来た、小泉三申は「幸徳もあれで可いのだと話して居る」と言って来た、如何に絶望しつらんと思った老いたる母さえ直ぐに「斯る成行に就ては、兼て覚悟がないでもないから驚かない、私のことは心配するな」と言って来た。
死刑! 私には洵とに自然の成行である。これで可いのである、兼ての覚悟あるべき筈である、私に取っては、世に在る人々の思うが如く、忌わしい物でも、恐ろしい物でも、何でもない。
私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽かも知れぬ。
これ私の性の獰猛なるに由る乎、癡愚なるに由る乎、自分には解らぬが、併し今の私に人間の生死、殊に死刑に就ては、粗ぼ左の如き考えを有って居る。
二
万物は皆な流れ去るとヘラクリタスも言った、諸行は無常、宇宙は変化の連続である。