軽井沢
本文約6,100字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
軽井沢を再訪した筆者が、白樺電車や避暑地の町並み、ゴルフ場、水力発電所といった滞在先での光景を綴る。水鶏の鳴き声に静寂を感じる一方で、人間界の騒音や機械化の影に思いを巡らせ、自然の営みと人間生活の対比を観察する。また、山を歩くうちに身体が軽やかになる感覚や、関東平野へ戻る車窓から見える景色の変容を通じて、土地ごとの生態や気象現象、そして自然と人間との関係性について考察を収める随筆である。
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十五年ほど前の夏休みに松原湖へ遊びに行った帰りの汽車を軽井沢でおり、ひと汽車だけの時間を利用してこの付近を歩いたことがあった。その時の記憶と今度行って見た軽井沢とで、目についた相違はと言えば、機関車の動力が電気になっていること、停車場前に客待ちのリクショウメンがいなくなって、そのかわりに自動車とバスと、それからいろいろな名前のホテルの制帽を着た、丁寧でいばっている客引きの数が多いことぐらいである。山川の景色は百年ぐらいたってもたいして年は取らないのである。
草津電鉄で、駅と旧軽井沢との間に通称「白樺電車」というものを通わせている。いかにも軽井沢らしい象徴的な交通機関である。柱や手すりを白樺の丸太で作り、天井の周縁の軒ばからは、海水浴場のテントなどにあるようなびらびらした波形の布切れをたれただけで、車上の客席は高原の野天の涼風が自由に吹き抜けられるようにできている。天井裏にはシナふうのちょうちんがいくつもつるしてある。なんとなく子供のうれしがるようなぐあいにできている。そうして、子供を連れて乗ったおとなもつい子供のような気持になる、といったような奇態な電車である。柱の白樺の皮がはがれた所を同じ皮で繕って、その上に巻いたテープには「白樺の皮をだいじにしてください」と書いてある。なるほど、だれでもちょっとはがしてみたくなるものと見える。この車を引っぱる電気機関車がまた実に簡単で愉快なものである、大きな踏み台か、小さな地蔵堂のような格好をした鉄箱の中に機関手が収まっている。その箱の上に二本鉄棒を押し立てて、その頂上におもちゃの弓をつけたような格好のものである。それでもこれが通ると、途中の草原につながれて草をはんでいる馬が、びっくりしてぴょんぴょんはねるのである。
旧軽井沢の町はユニークな見ものである。ちょっと見ると維新以前の宿場のような感じのする矮小な低い家並みの店先には、いわゆる「居留地」向きの雑貨のほかに、一九三三年の東京の銀座にあると同じような新しいものもあるのである。書店の棚にはギリシア語やヘブライ語の辞書までも見いだされる。聖書の講義もあればギャング小説もある。