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TORENDIA

巴里より

本文約177,700字 ・ 読了時間 約356分

あらすじ(AIが作成しました)

明治四十四年、欧州への憧憬を抱き巴里へ渡った夫婦が、現地の見聞や生活を綴った紀行文を収める。主に巴里に滞在した二人が、自身の鋭い視点から仏蘭西の文化や芸術、現地の識者との交流、演劇の感想などを描き出す。また、道中の上海における情景や、日本の文壇の近況といった話題も盛り込まれており、旅先での出来事や文明に対する独自の観察と考察を収録する作品である。

與謝野寛、與謝野晶子

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「巴里より」の初めに

予等は日夜欧羅巴に憬れて居る。殊に巴里が忘れられない。滞留期が短くて、すべて表面計りを一瞥して来たに過ぎない予等ですら斯うであるから、久しく欧洲の内景に親んだ人人は幾倍か此感が深いことであらう。

近日、友人徳永柳洲君は画を、予等夫妻は詩歌を以て滞欧中の所感を写した「欧羅巴」一冊を合作しようと計画して居る。其れは同期に欧洲に遊んだ画家と詩人の記念であるのみならず、互に「海のあなた」の恋しさを紛らさうとする手ずさびである。

併し、此「巴里より」一冊は其様な意味から世に出だすのではない。

予は明治四十四年十一月八日に横浜から郵船会社の熱田丸に乗つて海路を取り、予の妻は翌年五月五日に東京を立つてシベリヤ鉄道に由り、共に前後して欧洲に向つた。

予等は旅中の見聞記を毎月幾回か東京朝日新聞に寄せねばならぬ義務があつた。猶晶子は雑誌婦人画報などに寄稿する前約があつた。そして新聞雑誌の性質上、予等の通信は予め「通俗的に」と云ふ制限を受けて居た。

予の欧洲に赴いた目的は、日本の空気から遊離して、気楽に、且つ真面目に、暫らくでも文明人の生活に親むことの外に何もなかつた。実に筆を執つて皮相の観察を書くことなどは少からぬ苦痛なのである。自然予等は通信の義務を懈ることが多かつた。

今ここに、書肆から望まれるに其等の見聞記を集めて読み返して見ると、すべて卒爾に書いた杜撰無用の文字のみであるのに赤面する。初めから一冊の書とする予期があつたのなら、少しは読者の興味を刺激するに足る経験や観察を書き洩さずに置いたものを。

何れの地の記事も蕪雑であるが、伊太利の紀行中、羅馬に就ては数回に亘る記事を一括して新聞社へ送つた筈であつたのに、其郵便が日本へ着かずに仕舞つた。ナポリ、ポンペイ等の記事も同様である。其等の郵便を予自身に郵便局へ赴いて差立てなかつたのが過失であつた。人気の悪るいナポリの宿の下部に托した為めに故意に紛失された[#「された」は底本では「さされた」]のであつた。さりとて今更記憶を辿つて書き足す気にもならない。此書の為に益々不備を憾むばかりである。

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