田巻安里のコーヒー
本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
コーヒーへのこだわりを見せる田巻安里は、自らをバルザックに重ね、周囲にその情熱を誇示しては自己陶酔に浸る。一方、熱烈に文学を愛する彼は、主義と文学が不可分であると信じ、私小説を書き続ける。しかし、友人たちからはその態度を「文学を愛すること」自体を愛する「コーヒー的文学」であると皮肉を浴びせられる。田巻は苦悩の末に友人らとの絶交を決意し、彼らの批判を否定しつつ、自身の純粋な情熱を証明しようと一心に筆を執り続ける。
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一
田巻安里は、甚だコーヒーをたしなんでゐた。彼は、朝昼晩、家にあつても外にあつても、機会を選ばずコーヒーを飲んだ。友人と喫茶店にはいり、「君はなに?」と問はれゝば、「無論コーヒーさ」と空うそぶき、コーヒーさへ飲んでゐれば、飯なんか食はなくてもいいと放言した。
だれも、彼がコーヒーをたしなむことに偽りがあるとは思はなかつた。たゞ、敏感な友人は、彼がコーヒーをたしなむことは、寧ろ「コーヒーをたしなむこと」をたしなむに近いと思つてゐた。
そこで問題になるのは、コーヒーそのものがある人のし好に適ふ理由は明瞭であるが、「コーヒーをたしなむこと」が、何故にし好愛着の目的物となり得るかである。
殊に、田巻安里の場合、不思議に思はれる現象は、コーヒーをたしなむかの如く見えて、その実、コーヒーそのものに対する感覚を多分に失つてゐるらしいことである。たゞそればかりではない。まれには、コーヒーを飲むことが、一種の苦痛になつてゐるとしか思はれないことである
少しうがつた観方をすれば、彼は、コーヒーを味はふ時よりも、「おれはコーヒーが好きだ」と思ひ、かつ、人からさう思はれることの方が楽しいのである。それゆゑに彼は、コーヒーを飲む時そのコーヒーの味よりも、それを味はふ自分自身が興味の対象であり、かくまでコーヒーが好きであるといふ自分を、半ば賛美し、半ば憐みつつ、かの黒かつ色の液体を唇に近づけるのである。
彼は、さういふ時、きまつて、ある幻影を頭に描く。「コーヒーばかり飲んでゐた天才」オノレ・ド・バルザツクの幻影である。
彼は、自分のあらゆる姿態あうちで、机に片ひぢをのせ、眼を青空の一角に注ぎ、その眼の高さに薄手のコーヒー茶わんを差あげてゐる瞬間がもつとも美しく、もつとも似合はしいと思つてゐた。