TRENDIA CLASSIC

竜舌蘭

寺田寅彦

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一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。さっきまで「青葉茂れる桜井の」と繰り返していた隣のオルガンがやむと、まもなく門の鈴が鳴って軒の葉桜のしずくが風のないのにばらばらと落ちる。「初雷様だ、あすはお天気だよ」と勝手のほうでばあさんがひとり言を言う。地の底空の果てから聞こえて来るような重々しい響きが腹にこたえて、昼間読んだ悲惨な小説や、隣の「青葉しげれる桜井の」やらが、今さらに胸をかき乱す。こんな時にはいつもするように、机の上にひじを突いて、頭をおさえて、何もない壁を見つめて、あった昔、ない先の夢幻の影を追う。なんだか思い出そうとしても、思い出せぬ事があってうっとりしていると、雷の音が今度はやや近く聞こえて、ふっと思い出すと共に、ありあり目の前に浮かんだのは、雨にぬれた竜舌蘭の鉢である。

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