生ける人形
本文約6,400字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
初めて文楽を観覧した著者が、その舞台芸術としての特性を、自身が関心を寄せる映画芸術の観点から考察する。人形が義太夫音楽と融合して人間以上の実在感を帯びる現象や、無表情な人形の面が観客の要求に応じて多面的な感情を表現する魔術的な仕組みを論じる。本書は、人形浄瑠璃という古典芸能を、発声映画の研究にも通じる高度な芸術として捉え直し、東洋独自の表現技法が持つ普遍的な可能性と新しい解釈の方向性を探る。
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四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙なじんまをずいて、ずいてずきすえた」これを翻訳すると「変な老婆が登場して、変な老爺をしかり飛ばした」というのである。その芝居の下手さが想像される。
つい近ごろある映画の試写会に出席したら、すぐ前の席にやはり十歳ぐらいの男の子を連れた老紳士がいた。その子供がおそらく生まれてはじめて映画というものを見たのではないかと想像されたのは、映画中なんべんとなく「はあー、いろんなことがあるんだねえ。……はあ、いろんなことがあるんだねえ」という嘆声を繰り返していたからである。実際その映画にはおとなにもおもしろい「いろんな」ことがあったのである。
見なれた人にはなんでもない物事に対する、これを始めて見た人の幼稚な感想の表現には往々人をして破顔微笑せしめるものがあるのである。
文楽の人形芝居については自分も今まで話にはいろいろ聞かされ、雑誌などでいろいろの人の研究や評論などを読んではいながら、ついつい一度もその演技を実見する機会がなかった。それが最近に不思議な因縁からある日の東京劇場におけるその演技を臍の緒切って始めて見物するような回り合わせになった。それで、この場合における自分と、前記の亀さんや試写会の子供とちがうのはただ四十余年の年齢の相違だけである。従ってこの年取った子供のこの一夕の観覧の第一印象の記録は文楽通の読者にとってやはりそれだけの興味があるかもしれない。
入場したときは三勝半七酒屋の段が進行していた。