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TORENDIA

映画芸術

本文約26,700字 ・ 読了時間 約54分

あらすじ(AIが作成しました)

科学と芸術の結婚により生まれた新しい総合芸術としての映画について、その技術的側面や表現の特異性を論じる。従来の空間芸術や時間芸術と比較し、カメラによる空間と時間の自在な統御が可能にする三次元的視覚体験を分析する。また、モンタージュ手法の本質を連句や浮世絵の精神に見出しつつ、日本独自の理論的考察に基づいた映像創造の可能性と、次世代への期待を綴る。

寺田寅彦

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緒言

映画はその制作使用の目的によっていろいろに分類される。教育映画、宣伝映画、ニュース映画などの名称があり、またこれらのおのおのの中でもいろいろな細かな分類ができる。しかしこれらの特殊な目的で作られた映画でも、それが広義における芸術的価値のないものであれば、それは決してその目的を達することができない。そういう意味においてすべての種類の映画の制作はやはり広義における映画芸術の領域に属するものと思われるから、ここではそういう便宜上の種別を無視して概括的に考えることにする。

映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児である。それで映画を論ずる場合に映画の技術に関する科学的の基礎と、その主要なテクニークについて一通りの解説をするのが順序であるが、この一編の限られた紙数の中にこれを述べている余地がないから、ここではいっさいこれらを省略する。しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。

ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越をあえてするに至った因縁について一言しておきたいと思う。元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにもかかわらず、まだ無限に多くのものが隠され拾い残されているであろうと思われる。従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚な考察の中からいくらかでも役に立つような若干の暗示が生まれうるプロバビリティーがあるかもしれないと思われる。また一方で自分は、従来自分の目にふれたわが国での映画芸術論には往々日本人ばなれのしたものが多いようであって、日本の歴史と国民性を通して見た映画の理論的考察が割合に少ないように思われるのを遺憾としていた。それで、もし多少でもそういう方面からの研究の端緒ともなるべきものに触れることができればしあわせだと思ったのである。

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