TRENDIA CLASSIC

映画雑感(Ⅳ)

寺田寅彦

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一 商船テナシティ

このジュリアン・デュヴィヴィエの映画は近ごろ見たうちでは最もよいと思ったものの一つである。何よりも、フランス映画らしい、あくの抜けたさわやかさが自分の嗜好に訴えて来る。

汽車でアーヴルに着いてすっかり港町の気分に包まれる、あの場面のいろいろな音色をもった汽笛の音、起重機の鎖の音などの配列が実によくできていて、ほんとうに波止場に寄せる潮のにおいをかぐような気持ちを起こさせる。発声映画の精髄をつかんだものだという気がする。これと同じようなことをドイツ人日本人がやればまずたいていは失敗するから妙である。

二人の若者の出帆を見送ったイドウ親爺とテレーズとが話しながら埠頭を帰って来る。親爺が「これが運命というものじゃ」というとたんに、ぱっと二人の乗って行った船の機関室が映写されて、今まで回っていたエンジンのクランクがぴたりと止まる。これらはまねやすい小技巧ではあるがやはりちょっとおもしろい。

バスチアンとイドウとが氷塊を小汽艇へ積み込んでいるところへテレーズがコーヒーの茶わんを持ってくる。バスチアンがいきなり女を船に引きおろしておいてモーターをスタートする。そうして全速力で走り出す。スクリーンの面で船や橋や起重機が空中に舞踊し旋回する。その前に二人の有頂天になってはしゃいでいる姿が映る。そうしたあとで、テナシティのデッキの上から「あしたは出帆だ」とどなるのをきっかけに、画面の情調が大きな角度でぐいと転回してわき上がるように離別の哀愁の霧が立ちこめる。ここの「やま」の扱いも垢が抜けているようである。あくどく扱われては到底助からぬようなところが、ちょうどうまくやれば最大の効果を上げうるところになるのである。同じような起重機の空中舞踊でもいつか見たロシア映画では頭痛とめまいを催すようなものになっていたようである。

ルネ・クレールでもデュヴィヴィエでも配役の選択が上手である。いくらはやりっ子のプレジアンでも、相手がいつも同じ相手役では、結局同じ穴のまわりをぐるぐる回ることになるであろう。

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