映画雑感(Ⅳ)
本文約16,500字 ・ 読了時間 約34分
あらすじ(AIが作成しました)
著者自身が鑑賞した国内外の様々な映画作品を通じ、その演出手法や構成、撮影技術、配役の是非について考察する随筆集。発声映画における音の配列や暗示的表現の重要性、実写映画に求められる空間的および時間的な座標軸の必要性などを論じる。特定の作品に見られる滑稽味や情調を分析し、映画製作における脚本やカメラワークの在り方、観客に対する親切な提示の重要性についても見解を述べる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一 商船テナシティ
このジュリアン・デュヴィヴィエの映画は近ごろ見たうちでは最もよいと思ったものの一つである。何よりも、フランス映画らしい、あくの抜けたさわやかさが自分の嗜好に訴えて来る。
汽車でアーヴルに着いてすっかり港町の気分に包まれる、あの場面のいろいろな音色をもった汽笛の音、起重機の鎖の音などの配列が実によくできていて、ほんとうに波止場に寄せる潮のにおいをかぐような気持ちを起こさせる。発声映画の精髄をつかんだものだという気がする。これと同じようなことをドイツ人日本人がやればまずたいていは失敗するから妙である。
二人の若者の出帆を見送ったイドウ親爺とテレーズとが話しながら埠頭を帰って来る。親爺が「これが運命というものじゃ」というとたんに、ぱっと二人の乗って行った船の機関室が映写されて、今まで回っていたエンジンのクランクがぴたりと止まる。これらはまねやすい小技巧ではあるがやはりちょっとおもしろい。
バスチアンとイドウとが氷塊を小汽艇へ積み込んでいるところへテレーズがコーヒーの茶わんを持ってくる。バスチアンがいきなり女を船に引きおろしておいてモーターをスタートする。そうして全速力で走り出す。スクリーンの面で船や橋や起重機が空中に舞踊し旋回する。その前に二人の有頂天になってはしゃいでいる姿が映る。そうしたあとで、テナシティのデッキの上から「あしたは出帆だ」とどなるのをきっかけに、画面の情調が大きな角度でぐいと転回してわき上がるように離別の哀愁の霧が立ちこめる。ここの「やま」の扱いも垢が抜けているようである。あくどく扱われては到底助からぬようなところが、ちょうどうまくやれば最大の効果を上げうるところになるのである。同じような起重機の空中舞踊でもいつか見たロシア映画では頭痛とめまいを催すようなものになっていたようである。
ルネ・クレールでもデュヴィヴィエでも配役の選択が上手である。いくらはやりっ子のプレジアンでも、相手がいつも同じ相手役では、結局同じ穴のまわりをぐるぐる回ることになるであろう。