破片
本文約9,000字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
蜜蜂の異常な来襲や身辺に起きた寄生虫の騒動、街路の明るさの変化といった日常の些細な出来事を素材に、科学的な視点と随筆家の感性で人間社会の現象を考察する随筆。自然の摂理や動物の習性から、社会問題、都市の風景、個人の性格、さらには国家という有機体への洞察までを断片的に綴り、環境と個体差、あるいは自然現象と人間の営みの相互関係を論じる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏(二七)が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記事が四日の夕刊に出ていた。
これがどの程度に稀有な現象だか自分には判断できないが、聞くのは初めてである。
今年の天候異常で七月中晴天が少なかったために、何か特殊な、蜜蜂の採蜜資料になるべき花のできが悪かったか、あるいは開花がおくれたといったような理由があるのではないかとも想像される。
近ごろ見た書物に、蜜蜂が花野の中で、つぼみと、咲いた花とを識別するのは、彼らにものの形状を弁別する能力のあるためだということが書いてあった。すなわち星形や十字形のものと、円形のものとを見分けることができるというのである。
しかし甘納豆の場合にはこの物の形が蜂を誘うたとは思われない。何か嗅覚類似の感官にでもよるのか、それとも、偶然工場に舞い込んだ一匹が思いもかけぬ甘納豆の鉱山をなめ知っておおぜいの仲間に知らせたのか、自分には判断の手掛かりがない。
それはとにかく、現代日本の新聞の社会面記事として、こういうのは珍しい科学的な特種である。たとえ半分がうそだとしてもいつもの型に入った人殺しや自殺の記事よりも比較のできないほど有益な知識の片影と貴重な暗示の衝動とを読者に与える。
この蜜蜂の話は人間社会の経済問題にも実にいろいろな痛切な問題を投げるようである。それよりも今さし当たって自分はなんとなく北米や南米における日本移民排斥問題を思い出させられる。
南半球の納豆屋さんには日本から飛んで来る蜜蜂が恐ろしいのである。
二
庭と中庭との隔ての四つ目垣がことしの夏は妙にさびしいようだと思って気がついて見ると、例年まっ黒く茂ってあの白い煙のような花を満開させるからすうりが、どうしたのかことしはちっとも見えない。これはことしの例外的な気候不順のためかとも思ってみたが、しかし、庭の奥のほうのからすうりはいつものように健康に生長している。