本文へ移動
TORENDIA

争われない事実

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

孝行息子であった健吉が東京で思想事件に関わり投獄される。母親と妹のお安は監獄へ面会に向かうが、その威圧的な光景に母親は圧倒され、結局息子と対面できずに帰郷する。その後、救援会の女性と接触したお安は、兄の志や社会運動の意義に触れ、やがて故郷で小作争議に身を投じるようになる。母親の理解を超えたところで、息子から妹へと受け継がれた抵抗の意志と、社会に現実に存在する変革の兆しを描く。

小林多喜二

速度
🎧 争われない事実 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 3

誰よりも一番親孝行で、一番おとなしくて、何時でも学校のよく出来た健吉がこの世の中で一番恐ろしいことをやったという――だが、どうしても母親には納得がいかなかった。見廻りの途中、時々寄っては話し込んで行く赫ら顔の人の好い駐在所の旦那が、――「世の中には恐ろしい人殺しというものがある、詐偽というものもある、強盗というものもある。然し何が恐ろしいたって、この日本の国をひッくり返そうとする位おそろしいものがないんだ」と云った。

矢張り東京へ出してやったのが悪かった、と母親は思った。何時でも眼やにの出る片方の眼は、何日も何日も寝ないために赤くたゞれて、何んでもなくても独りで涙がポロポロ出るようになった。

角屋の大きな荒物屋に手伝いに行っていたお安が、兄のことから暇が出て戻ってきた。

「お安や、健は何したんだ?」

母親は片方の眼からだけ涙をポロ/\出しながら、手荷物一つ持って帰ってきた娘にきいた。

「キョウサントウだかって……」

「何にキョ……キョ何んだって?」

「キョウサントウ」

「キョ……サン……トウ?」

然し母親は直ぐその名を忘れてしまった。そしてトウトウ覚えられなかった。――

小さい時から仲のよかったお安は、この秋には何とか金の仕度をして、東京の監獄にいる兄に面会に行きたがった。母と娘はそれを楽しみに働くことにした。健吉からは時々検印の押さった封緘葉書が来た。それが来ると、母親はお安に声を出して読ませた。それから次の日にモウ一度読ませた。次の手紙が来る迄、その同じ手紙を何べんも読むことにした。

*

とり入れの済んだ頃、母親とお安は面会に出てきた。母親は汽車の中で、始終手拭で片方の眼ばかりこすっていた。

何べんも間誤つき、何べんも調らべられ、ようやくのことで裁判所から許可証を貰い、刑務所へやってきた。――ところが、その入口で母親が急に道端にしゃがんで、顔を覆ってしまった。妹は吃驚した。何べんもゆすったが、母親はそのまゝにしていた。

「お母ッちや、お母ッちゃてば!」

小林多喜二の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本