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TORENDIA

石川啄木と小奴

本文約4,900字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

石川啄木の釧路時代の生活と、当時の芸者小奴との交流を綴る。著者は北海道行啓の際、釧路で小奴と出会い、二人を繋ぐ啄木の人となりや、貧困の中で釧路を去った啄木の当時の様子を聞き出す。その後、東京で本人にその話を伝えるが、複雑な心境を覗かせる様子を描く。本書は、啄木の歌に詠まれた小奴との関係を通し、詩人の人間味あふれる側面を記す。

野口雨情

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🎧 石川啄木と小奴 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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石川啄木が歿つてからいまだ二十年かそこらにしかならないのに、石川の伝記が往々誤り伝へられてゐるのは石川のためにも喜ばしいことではない、況んや石川が存生中の知人は今なほ沢山あるにも拘はらず、その伝記がたまたま誤り伝へられてゐるのを考へると、百年とか二百年とかさきの人々の伝記なぞは随分信をおけない杜撰なものであるとも思へば思はれます。ですから一片の記録によつてその人の一生を速断するといふことは、考へてみれば早計なことではないでせうか。

私の思ふには石川が最後に上京して朝日新聞在社時代の前後や、晩年の生活環境については石川の恩人であつた金田一京助氏が一番正確に知つてゐるはずで、同氏によつてその時代のことを書かれたものが、正確なものだと考へられるが、北海道時代、ことに釧路時代の石川のことについては全く知る人が少いやうに思ふのでそれをここで述べてみよう。

石川の歌集を繙く人は、その作品の中に小奴といふ女性が歌はれてゐることを気づくであらう。

小奴といふのは釧路の芸者で、石川とは相思の仲であつたともいへよう。私は小奴に逢つたのは石川が釧路を去つて約一年後であつた。その動機といふのは、大正天皇が皇太子のころ北海道へ行啓されたことがあつた。その時私は、東京有楽社のグラフイツクを代表して御一行に扈従して函館から、札幌、小樽、旭川、帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従記者は新聞では国民新聞の坂本氏、通信社では電報通信の小山氏、日本通信の吉田氏らであつた、その時の新聞班の係長はつい先ごろまで、千葉県や群馬県の県知事をしてゐた県忍氏で県氏はその当時北海道庁の事務官であつたため新聞班の係長に選定されたのである。

そこで我等扈従記者の一行が県氏の案内で釧路へ着くと、釧路第一の料理亭、○万楼で土地の官民の有志が我我のために歓迎会を開いてくれた。私も勿論その席に出席して招待を受けたのであつた。

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