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TORENDIA

雪

本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

フランス貴族のボニ侯爵は、かつてアメリカの富豪アンナと政策結婚し、その莫大な資産を投じて「消費の芸術」を実践した。侯爵は自身の滅びこそ貴族の完成であると信じ、享楽的な生活の果てに全財産を失った。屋敷や庭を人手に渡した現在、彼はかつての栄華を振り返りながら、淡雪の降る庭で日々「遺言」の練習を繰り返す。自らの階級と矜持を語り、日常へ戻っていく侯爵の孤独と執念を描く。

岡本かの子

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🎧 雪 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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遅い朝日が白み初めた。

木琴入りの時計が午前七時を打つ。ヴァルコンの扉が開く。

「フランスの貴族でアメリカ女の金持と政策結婚をした始めての人間はわしだつたのさ。」

さう云ひながらボニ侯爵は軽騎兵の服を型取つた古い部屋着のまま中庭の雪へ下りて行つた。雪は深かつた。もう止んでゐた。

「それからアメリカとフランスとの間にそれが流行となつて活動女優のグロリア・スワンソンまでがラ・ファレイズ侯爵と結婚するやうになつたのさ。」

侯爵はそこで体を屈めた。指で雪を掬ひ上げてぢつと見詰めた。それから手首を外側へしなはせると雪片は払ふまでもなく落ちた。

「実際フランスの貴族といふものは世界中で一番完成した人間だらう。その証拠にはあらゆる理解と才能を備へてゐてたつた一つ働くことが出来ないことだ。歴史を見ても判る。その階級として最高の完成に達した人間はみなこの通りだ。」

そこにロココ風の隠れ家式の小亭がある。侯爵は枯蔦をひいて廂の雪を落した。家のなかに寝てゐた薄闇が匂ひもののやうに大気へ潤染んで散る。腰嵌めの葡萄蔓の金唐草に朝の光がまぶしく射す。侯爵は座板に腰掛けずにそのまま入口の柱に凭れた。背中が羅紗地を距ててニンフの浮彫にさはる。

「その人間は美しく滅びるよりほかあるまい。完成を味ひつつ消去るよりほかはあるまい。Le monde se meurt. Le monde est mort.(地球は自殺する。地球は死である。)まつたくわたし達にはうつてつけの言葉だ。だが、世間にはまた働く貴族といふ者があるにはある。五ヶ国語を話してトーマス・クックの案内人を勤める伊太利男爵もあれば刺繍とピアノを教へる嫁入学校を拵へて一儲けする波蘭伯爵もある。しかし、それは地球の自殺の仕損じと同じものだ。結局灰滅は時期の問題だ。」

侯爵はここで少し笑つた。フォウブルグ・サン・ジ※[#「小書き片仮名ヱ」、203-14]ルマンの丈の高い屋敷町に取籠められたこの庭でたつた一人がどんなに笑ふとしたところで周囲の朝寝を妨げはしない。まして侯爵の笑ひは淡々として水に落ちる雫のやうだ。波紋もさう遠くへ送る力は無い。

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