本文へ移動
TORENDIA

無題(七)

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

水色エナメルの変圧器やシクラメンが置かれた病院の湯槽で、療養中の自分は沐浴を楽しむ。そこへ妊娠八ヵ月のターニャが現れ、背中を洗いながら会話を交わす。働きながら教育を受ける彼女は、出産を控えつつも未来への希望を語る。厳しい生活環境の中でも、新しい社会制度に支えられ、腹の子を慈しみながら力強く生きる若き女性の姿と、そこに宿る人間的な美しさを瑞々しく描き出す随筆である。

宮本百合子

速度
🎧 無題(七) / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

時砲の玉みたいな製鉄炭酸瓦斯管が立って居る。水色エナメルの変圧器の上に日光がさした。その日光は窓枠の上に雑然と置かれたシクラメンの葉ばかりの鉢や、酸づけ玉菜の瓶をも照して居る。エミール・ヤニングスが世界的映画「リエテ」の中で、食卓から立ってしめたと同じプロレタリアの水道栓が壁にあった。わきに幾枚も古びた外套が重ねてかけてある。外套の下に上靴と防寒靴が三足かためてあった。窓から二米はなれて湯槽があった。黒い髪だけが湯槽の外へ見えた

この間こんな絵を見た。やっぱり今ここに在る通り湯槽から頭だけが見えて居る。これは禿げた爺のロチョー部だったが、戸が一寸すいて八つの眼玉がその禿をのぞいた。――いつ出るんだろう、あの爺さん――第二図は、湯槽の横断面で、驚くながれ爺さんは湯槽で風呂をつかって居るのではなかった、彼はそこで生活して居るのだ。勿論着物のまま爺さんは膝をたてて湯槽によりかかり本をよんで居る。彼のちぢめたどた靴の先には、レーニンも照覧あれ! モスク文化象徴である石油コンロ、薬カン、人別手帖で買ったところの貴重なパンの塊、ソーセージ、――つつましき人生の全必需品がもち込まれて居るのだ。

この湯槽には、だが幸三十四度の温湯がたたえられてある。黒い東洋の髪をぬらしつつ漬って居るのは自分だ。湯槽の内にも日光は燦いた。時々、地下室の実験用犬の鳴く声が聞えた。

肝臓のために一週二度ずつ沐浴が出来る。何と楽しい課目!

生れて始めて凹んですき間の出来た股を 湯のなかで自分は愛撫した。

壁際の黒皮ばり長椅子に二十歳のターニャが脚をひろげてかけて居る。白い上被りの中で彼女は若々しい赧ら顔と金髪と大きな腹をもった綿細工人形みたいだ。

ターニャは姙娠八ヵ月だ。午後四時まで第一大学附属内科の婦人部で働いた。夜はラブ・ファクへ通ってダルトンプランの教育を受けた。一間に一間半もある大ペチカのある病院の台所の隅で ターニャは代数の方程式を書くのだ。

――お湯ぬるくありませんか ――丁度いい  一寸黙って居たがターニャは愉しそうに伸びをして、両腕を頭の後に組み乍ら云った

宮本百合子の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本